きれぎれの追憶
神西清

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 辻野久憲君が亡くなつたのは一九三七年の九月九日である。早いものだ、それからもう十二年になる。
 忘れえぬ友といへば、僕の生涯にもはやかなりの数にのぼる。なかでも年少の友の死は一しほ痛々しい。けれどその死者の記憶が、いつまでも鮮らしい傷口を開いてゐるやうな場合は、かならずしも多くはない。辻野君の死が、僕にとつてその稀な場あひの一つだつた。いやそればかりか、傷口は年々謎めいた口をひろげるのである。
 これはどうしたわけだらうか。いま追憶の筆をとらうとして、つき当るのはやはりこの疑問である。だが分らない。謎は深まるばかりなのである。
 ――亡くなつた辻野久憲は燃える熔岩のやうに美しい存在であつた。その夭折の痛ましさに、私は未だに追憶の筆も執れずにゐるほどである。彼はあるとき、作品にあらはれる自然描写は、いや応なしにその作家の神に対する位置を露はにすると語つたことがある。これは怖ろしいほど鮮明な言葉である。自然を天と地とに引き裂かずには措かない或るきびしさにみちた言葉である。……
 そんなことを、彼が亡くなつた年の末ごろ、僕はやつと手帳に書きつけた。そこで何かしら筆が逡巡したらしく、二三行ほどぎざぎざな消しがあつて、その先にはこんな文句が続いてゐる。
 ――辻野久憲は臨終ちかくカトリックに改宗してゐるが、彼の死を早めたものは或ひはこの言葉の呪ひではなかつたらうかと私は思つてゐる。彼がこの言葉を口にしたのは、Hans Land の短篇『冬の王』について語りながらであつた。あの不気味な作品の魅力を解する人は少なからずゐる。だが彼ほどに熱つぽい傾倒をあの小説に示した人を、私は絶えて見たことがない。蒼白い頬をほんのり紅潮させて、口ごもり口ごもり印象を語りつづけた或る午後の彼の眼の光を私は忘れない。それは紛れもなく、「荊の輪飾をした額ぶち」を魂のどこかに掛けてゐる人の眼であつた。かと云つて私は、この若き反逆児の魂の閲歴については殆ど何も知らないのだが。……
 ここで僕の古い手帳の文句は絶えてゐる。この点々の先へ、僕はどんな言葉をつづ
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