をほぐしていると、いきなり小石が一つその窓から飛びこんで来たのです。石はすっかり紙でくるんでありました。

      ※[#ローマ数字16、195−1]

 わたしはそこいらを見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]し、窓の外まで覗いて見ましたが、誰もいません。
「これはきっと、誰かが垣根の外からわざと投げこんだのが、狙いがそれて、この小屋へ飛びこんだのだろう」とは思いましたが、なおも胸の中で、「あの紙をひろげて見たものか、どうかしら? どうやら拡げて見た方がよさそうだ。きっと何か書いてあるにちがいないもの。ひょっとするとあれは、誰かにとって大事なことかも知れない。読めばそのくらいの察しはつくし、何か秘密のことだったらそのまま胸の中にたたんで、書附はまた石をくるんで同じように名宛て先の人のところへ抛りこんでやればいい。」
 ひろげて読みだした途端に、わたしは吾とわが眼が信じられませんでした。……

      ※[#ローマ数字17、195−10]

 こう書いてあるのです、――
『二世を誓ったわがリューバよ! ぼくは方々転戦して陛下に御奉公し、一再ならずわが血を流した。おかげで将校に昇進し、立派な肩書がついた。今度ぼくは休暇をもらって傷の療治に帰って来て、プシカーリ村のさる旅籠屋の亭主の世話になっている。明日になったら勲章や十字章をぶらさげて伯爵に会いにゆくが、そのとき療治の費用にもらった五百ルーブリの金を残らず持参して、それを身のしろ金にあんたを請け出さしてもらい、いとも高き造物主の祭壇のみ前で婚礼をしたいと思う。』
 ――その先には(とリュボーフィ・オニーシモヴナは、こみ上げてくる感情を抑えながら、言葉をつづけた――)、まだこんなことも書いてありました。『あんたがこれまでどんな災難に逢ったにしろ、たとえどんな憂目を見たにしろ、ぼくはそれを受難と思って、決して罪科とも浅慮《あさはか》さとも思わず、何ごとも神のみ心にお任せして、あんたをひたすら崇め敬うつもりだ。』そして、『アルカージイ・イリイーチ』と署名してありました。
 リュボーフィ・オニーシモヴナは、その手紙をすぐさまペチカの掻取り口で燃やして、余人はもとより当の縞服の婆さんにさえ口外せずに、夜っぴて神に祈りをささげた。それもわが身のことは一さい口にしないで、ただもう男のために祈りに祈った。というのは、「なるほどあの人の手紙には、もうちゃんと士官になって、十字章ももらい名誉の負傷もある身だと書いてはありましたけれど、そのため伯爵のもてなしぶりが昔と違おうなどとは、とても考えられなかった」からであった。
 手みじかに言えばつまり、相変らず彼が打擲されはしまいかと案じたわけである。

      ※[#ローマ数字18、197−2]

 あくる朝はやく、リュボーフィ・オニーシモヴナは仔牛を日なたへ出して、小さな盥《たらい》に入れたパン皮や乳で養いはじめたが、その時とつぜん、異様な物音がきこえだした。それはお屋敷の奉公人たちが、「自由に」垣根のそとを何処かへ急いで行くらしく、どんどん駈けだしながら、何やら早口でわめきかわしているのだった。
 ――一体なにを話しているのやら(と、乳母は語るのだった――)、わたしには一言も聞きとれませんでしたが、その一言一言がまるで匕首になって、この胸に突きささる思いがしましたよ。その時ちょうど、肥《こえ》運びのフィリップが門内へ乗りこんで来ましたので、わたしは渡りに舟とばかり、――
「ねえフィーリュシカ、ひょっとしてお前さん知らないかい? あの人たちは何しに行くんだい、何を珍らしそうに話し合っているんだい?」
 と聞きますと、
「あれはなあ」という返事です、――「プシカーリ村でな、旅籠屋の亭主が真夜中ぐっすり寝こんでる士官を刺し殺したとかいうんで、それを見物に行くのさ。刺すも刺したり、喉笛ま一文字に切ってのけてな、大枚五百両という金をふんだくったとよ。もう捕《つら》まったが、総身にべっとり返り血を浴びてな、金もちゃんと持っていたそうだよ。」
 その話を聞くなり、わたしはへたへたと腰が抜けてしまいました。
 まったくその通りだったのです。その亭主はアルカージイ・イリイーチを刺し殺したのでした。……そしてあの人は、それこの、ほかでもない今わたしたちの腰掛けているこのお墓の中に、葬られたのですよ。……ええ、そうですとも。あの人は未だにわたしたちの下に、この塚の下に寝ているのですよ。……坊っちゃんはさぞかし、わたしが散歩といえば必らずここへ来るのを、不思議に思いなすったでしょうね。……わたしは二度とふたたび、あすこを(と、陰気な灰色をした廃墟をゆびさして――)この眼で見たいとは思いません。ただ残る望みといえばもう、ここでこうしてあの人のそばに一とき坐
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