「もしこのわしを、兄者びとカミョンスキイ伯爵同様の男ぶりに仕上げてくれる者があったら、その者には小判二枚をとらせよう。万が一わしに切り疵をつけるような者にたいしては、これこのとおりピストルが二挺テーブルの上にあるぞ。首尾よく仕了せた者は、小判を持って退散するがよい。吹出物ひとつ切るなり、頬ひげ一本やり損じた者があったら、たちどころに一命は貰い受けるぞ。」
だがこれは唯のおどし文句なのでした。二挺のピストルには空包《からだま》がこめてあったのですよ。
当時オリョールには床屋がたんといなかったし、いる連中にしたところで、たかだか受け皿を手に持って風呂屋まわりをしたり、吸角《すいだま》や蛭をつけたりするぐらいが関の山で、趣味とか趣向とかいうものは薬にしたくも持合せのない手合いでした。それは自分から承知の前でしたから、一同みなカミョンスキイ「御変容」の大役を辞退におよびました。『まあどうなりと御勝手に』と、床屋たちは胸中ひそかに考えたのです、――『お前さんも、お前さんのその小判もな。』
「わたくしどもには」と、口々に言上しました、――「とても及ばぬ大役でございます。そのようなお偉いお方のお髯の先に触れることさえ畏れ多い分際であります上に、然るべき剃刀の持合せもございません。持合せておりますのは、ありきたりのロシヤ製の剃刀でございますが、ごぜん様のお顔をあたりますには、イギリス製でなければ叶いません。これは伯爵様のお抱え、あのアルカージイならでは、とても及ぶことではございません。」
弟ぎみはその床屋の面々を、首っ玉つらまえて早々に追い出せと下知しましたが、こっちは却って厄のがれをしてほくほくものでした。弟ぎみはすぐその足で兄ぎみのところへ馬車を乗りつけ、こう言いました。――
「いやどうも兄さん、えらい難儀なお願いがあって参りましたよ。日の暮れぬ前にあんたのお抱えのアルカーシカ奴《め》を、ちょっとわたしに貸し下されて、わしの男ぶりを然るべくととのえさせては貰えんですかい。久しく顔をあたりませんが、当地の床屋どもは手に負えんと申しますでな。」
伯爵は弟ぎみにこう答えなさいました、――
「ここの床屋どもは、無論のことやくざ者だよ。第一そんなものが、この町にいようとは知らなかったね。何しろわたしのところでは、犬の毛を刈るのさえ、抱えの者がやるからな。さて折角のあんたの頼みだが、それは無理難題というものだ。というのは、わたしが存命中アルカーシカのやつには、わたし以外の誰の調髪もさせんと固く誓言したからだよ。まあ考えてもごらん――いやしくも一たん約束したことを、わたしがわが家の奴隷の前で、むざむざ破っていいものかな?」
相手はこうやり返します、――
「なんの仔細があるものですか。あんたが定めたことを、あんたが変えるのにさ。」
けれどあるじの伯爵さまは、そんな理窟はいっそ奇怪千万だと答えなさりました。
「一たんわたしが」と仰しゃるのです、――「自分からそんな事をはじめたら、今後うちの者らに示しがつくと思うかな? アルカーシカのやつには、わたしがそう決めたと申し渡してあるし、一同もそれを心得ている。さればこそあいつの給金も、ほかの皆よりは一段と奮発してあるのだから、万一あいつが謀反気を起して、わたし以外の者のつむりにその芸をふるうような真似をしたなら、わたしはやつを死ぬほど鞭打ったうえ、兵隊にやってしまうつもりだよ。」
弟ぎみはこう言います、――
「そのどっちか一つでしょうな――死ぬほど鞭打つか、それとも兵隊にやるか。両方いっしょにやるのは無理でしょうな。」
「まあいい」と伯爵、――「じゃああんたの言う通りにするさ。殺しも半殺しもしない程々に鞭打って、それから兵隊にやるとしよう。」
「ではそれが」と弟ぎみ、――「ぎりぎり結著のお言葉ですか、兄さん?」
「うん、ぎりぎり結著だ。」
「ただそれだけの仔細なんですね?」
「うん、それだけだ。」
「まあまあ、それで安心しました。さもないとわたしは、あんたにとって現在の弟が、そこらの奴隷一匹より安いのかと、そう思うところでしたよ。ではこうしましょう、あんたは約束を破るまでもない、ただあのアルカーシカを、わたしのむく犬の毛を刈込み[#「むく犬の毛を刈込み」に傍点]におよこし下さい。その先あれが何をするかは、わたしの知ったことですて。」
伯爵としては、それまで断わるのは気がひけたのでしょうね。
「よかろう」と伯爵が仰しゃいました、――「では、むく犬を刈込みにやるとしよう。」
「いや、それで結構です。」
弟ぎみはぎゅっと握手をして、馬車を返して行きました。
※[#ローマ数字8、1−13−28]
それはちょうど夕暮れ前で、冬のこととてそろそろたそがれはじめ、召使が灯を入れておりました
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