てではなくて、聯隊の軍曹として出陣するようにな。まあ立派にお前の勇気をふるって見せるがいい。この上はもうお前はわしの家来ではなくて、あっぱれ帝《みかど》の臣下なのだぞ。」
「だからね」と、縞服の婆さんは言うのでした、――「今じゃあの人は安楽になって、びくびくするものは何一つないのさ。勝手にならないことは只一つ、戦死ということだけで、ごぜん様の御意なんかもうありはしないのさ。」
わたしも成程その通りだと思って、それから三年の間というもの、毎晩毎晩アルカージイ・イリイーチが戦さをしている有様を、ただそれだけを夢に見つづけました。
そうして三年の年月は流れましたが、そのあいだじゅうわたしは神様の御加護で、二度とふたたび芝居へは戻らずに済み、引続きその仔牛小屋のなかで、ドロシーダ小母さんの組の者として暮らしたのです。それは実にいい暮らしでした。わたしはこの小母さんを気の毒に思って、夜更けなど小母さんがあんまり酔っぱらっていないような時には、その思い出話をきくのが好きでしたからね。小母さんは未だに、先代の伯爵が斬り殺された時のことを覚えていました。発頭人は従僕|頭《がしら》でしたが、――とにかくみんなもうこのうえ一刻も、没義道な主人の乱行が我慢ならなくなったのです。とはいえわたしは、まだ一滴の酒も飲み習わず、ドロシーダ小母さんのため色んな用事をいそいそと勤めたものでした。仔牛たちがまるでわが子のような気がしたのです。仔牛たちにすっかり情が移ってしまって、その中のどれかが肉が乗りきって、食卓にのぼせられるため屠殺場へ曳かれて行く時など、思わずその後姿に十字を切って、三日間も泣けて泣けてならないくらいでした。わたしはもう舞台に立てる身ではありませんでした。脚がぐらぐらして、よく歩けなくなっていたからです。以前はわたしの足どりは世にも軽やかなものでしたが、あの日アルカージイが気絶したわたしを寒気の中へ連れ出してからというもの、きっと脚が冷えこんだのでしょう、爪先にすっかり力が失せて、とても踊りどころの段ではありませんでした。結句わたしも、ドロシーダと同じような縞服の女になって行ったのです。そんな鬱陶しいその日その日が、その先どこまで続くものやら見当もつかなかったのですが、そのうち突然、ある日の夕方じぶんの小屋にいた時のことです、――日が沈みかけていましたが、わたしが窓際で紡ぎ車
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