り強《つよ》き勢力《せいりよく》を以《もつ》て、實際《じつさい》に反應《はんおう》するのです。貴方《あなた》は醫者《いしや》でおゐでて、如何《どう》して那麼譯《こんなわけ》がお解《わか》りにならんです。苦《くるしみ》を輕《かろ》んずるとか、何《なん》にでも滿足《まんぞく》してゐるとか、甚麼事《どんなこと》にも驚《おどろ》かんと云《い》ふやうになるのには、那《あれ》です、那云《あゝい》ふ状態《ざま》になつて了《しま》はんければ。』と、イワン、デミトリチは隣《となり》の油切《あぶらぎ》つた彼《か》の動物《どうぶつ》を差《さ》してさう云《い》ふた。『或《あるひ》は又《また》苦痛《くつう》を以《もつ》て自分《じぶん》を鍛錬《たんれん》して、其《そ》れに對《たい》しての感覺《かんかく》を恰《まる》で失《うしな》つて了《しま》ふ、言《ことば》を換《か》へて言《い》へば、生活《せいくわつ》を止《や》めて了《しま》ふやうなことに至《いた》らしめなければならぬのです。私《わたくし》は無論《むろん》哲人《てつじん》でも、哲學者《てつがくしや》でも無《な》いのですから。』と、更《さら》に激《げき》して。『ですから、那麼事《こんなこと》に就《つ》いては何《な》にも解《わか》らんのです。議論《ぎろん》する力《ちから》が無《な》いのです。』
『如何《どう》してなか/\、貴方《あなた》は立派《りつぱ》に議論《ぎろん》なさるです。』
『貴方《あなた》が例證《れいしよう》に引《ひ》きなすつたストア派《は》の哲學者等《てつがくしやら》は立派《りつぱ》な人達《ひとたち》です。然《しか》しながら彼等《かれら》の學説《がくせつ》は已《すで》に二千|年以前《ねんいぜん》に廢《すた》れて了《しま》ひました、もう一|歩《ぽ》も進《すゝ》まんのです、是《これ》から先《さき》、又《また》進歩《しんぽ》する事《こと》は無《な》い。如何《いかん》となれば是《これ》は現實的《げんじつてき》でない、活動的《くわつどうてき》で無《な》いからで有《あ》る。恁云《かうい》ふ學説《がくせつ》は、唯《たゞ》種々《しゆ/″\》の學説《がくせつ》を集《あつ》めて研究《けんきう》したり、比較《ひかく》したりして、之《これ》を自分《じぶん》の生涯《しやうがい》の目的《もくてき》としてゐる、極《きは》めて少數《せうすう》の人計《ひとばか》りに行《おこな》はれて、他《た》の多數《たすう》の者《もの》は其《そ》れを了解《れうかい》しなかつたのです。苦痛《くつう》を輕蔑《けいべつ》すると云《い》ふ事《こと》は、多數《たすう》の人《ひと》に取《と》つたならば、即《すなは》ち生活《せいくわつ》其物《そのもの》を輕蔑《けいべつ》すると云《い》ふ事《こと》になる。如何《いかん》となれば、人間《にんげん》全體《ぜんたい》は、餓《うゑ》だとか、寒《さむさ》だとか、凌辱《はづかし》めだとか、損失《そんしつ》だとか、死《し》に對《たい》するハムレツト的《てき》の恐怖《おそれ》などの感覺《かんかく》から成立《なりた》つてゐるのです。此《こ》の感覺《かんかく》の中《うち》に於《おい》て人生《じんせい》全體《ぜんたい》が含《ふく》まつてゐるのです。之《これ》を苦《く》にする事《こと》、惡《にく》む事《こと》は出來《でき》ます。が、之《これ》を輕蔑《けいべつ》する事《こと》は出來《でき》んです。で有《あ》るから、ストア派《は》の哲學者《てつがくしや》は未來《みらい》を有《も》つ事《こと》が出來《でき》んのです。御覽《ごらん》なさい、世界《せかい》の始《はじめ》から、今日《こんにち》に至《いた》るまで、益※[#二の字点、1−2−22]《ます/\》進歩《しんぽ》して行《ゆ》くものは生存競爭《せいぞんきやうさう》、疼痛《とうつう》の感覺《かんかく》、刺戟《しげき》に對《たい》する反應《はんおう》の力《ちから》などでせう。』と、イワン、デミトリチは俄《にはか》に思想《しさう》の聯絡《れんらく》を失《うしな》つて、殘念《ざんねん》さうに額《ひたひ》を擦《こす》つた。
『何《なに》か肝心《かんじん》なことを云《い》はうと思《おも》つて出《で》なくなつた。』
と、彼《かれ》は續《つゞ》ける。『其《そ》れぢや基督《ハリストス》でも例《れい》に引《ひ》きませう、基督《ハリストス》は泣《な》いたり、微笑《びせう》したり、悲《かなし》んだり、怒《おこ》つたり、憂《うれひ》に沈《しづ》んだりして、現實《げんじつ》に對《たい》して反應《はんおう》してゐたのです。彼《かれ》は微笑《びせう》を以《もつ》て苦《くるしみ》に對《むか》はなかつた、死《し》を輕蔑《けいべつ》しませんでした、却《かへ》つて「此《こ》の杯《さかづき》を我《われ》より去《さ》らしめよ」と云《い
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