《なか》は少《すこ》しも是迄《これまで》と變《かは》らないでは無《な》いか、病氣《びやうき》の數《すう》も、死亡《しばう》の數《すう》も、瘋癲患者《ふうてんくわんじや》の爲《ため》だと云《い》つて、舞踏會《ぶたふくわい》やら、演藝會《えんげいくわい》やらが催《もよほ》されるが、然《しか》し彼等《かれら》をして全《まつた》く開放《かいはう》することは出來《でき》ないでは無《な》いか。而《し》て見《み》れば、何《なん》でも皆《みな》空《むな》しい事《こと》だ、ヴインナの完全《くわんぜん》な大學病院《だいがくびやうゐん》でも、我々《われ/\》の此《こ》の病院《びやうゐん》と少《すこ》しも差別《さべつ》は無《な》いのだ。
 然《しか》し俺《おれ》は有害《いうがい》な事《こと》に務《つと》めてると云《い》ふものだ、自分《じぶん》の欺《あざむ》いてゐる人間《にんげん》から給料《きふれう》を貪《むさぼ》つてゐる、不正直《ふしやうぢき》だ、然《け》れども俺《おれ》其者《そのもの》は至《いた》つて微々《びゞ》たるもので、社會《しやくわい》の必然《ひつぜん》の惡《あく》の一|分子《ぶんし》に過《す》ぎぬ、總《すべ》て町《まち》や、郡《ぐん》の官吏共《くわんりども》でも皆《みな》詰《つま》り無用《むよう》の長物《ちやうぶつ》だ。唯《た》だ給料《きふれう》を貪《むさぼ》つてゐるに過《す》ぎん……而《さう》して見《み》れば不正直《ふしやうぢき》の罪《つみ》は、敢《あへ》て自分計《じぶんばか》りぢや無《な》い、時勢《じせい》に有《あ》るのだ、もう二百|年《ねん》も晩《おそ》く自分《じぶん》が生《うま》れたなら、全然《まるで》別《べつ》の人間《にんげん》で有《あ》つたかも知《し》れぬ。』
 三|時《じ》が鳴《な》る、彼《かれ》はランプを消《け》して寐室《ねべや》に行《い》つた。が、奈何《どう》しても睡眠《ねむり》に就《つ》くことは出來《でき》ぬのであつた。

       (八)

 二|年《ねん》此方《このかた》、地方自治體《ちはうじちたい》はやう/\饒《ゆたか》になつたので、其管下《そのくわんか》に病院《びやうゐん》の設立《たて》られるまで、年々《ねん/\》三百|圓《ゑん》づつを此《こ》の町立病院《ちやうりつびやうゐん》に補助金《ほじよきん》として出《だ》す事《こと》となり、病院《びやうゐん
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