しよ》爲初《しはじ》めると毎《いつ》も數時間《すうじかん》は續樣《つゞけさま》に讀《よ》むのであるが、少《すこ》しも其《そ》れで疲勞《つかれ》ぬ。彼《かれ》の書見《しよけん》は、イワン、デミトリチのやうに神經的《しんけいてき》に、迅速《じんそく》に讀《よ》むのではなく、徐《しづか》に眼《め》を通《とほ》して、氣《き》に入《い》つた所《ところ》、了解《れうかい》し得《え》ぬ所《ところ》は、留《とゞま》り/\しながら讀《よ》んで行《ゆ》く。書物《しよもつ》の側《そば》には毎《いつ》もウオツカの壜《びん》を置《お》いて、鹽漬《しほづけ》の胡瓜《きうり》や、林檎《りんご》が、デスクの羅紗《らしや》の布《きれ》の上《うへ》に置《お》いてある。半時間毎《はんじかんごと》位《くらゐ》に彼《かれ》は書物《しよもつ》から眼《め》を離《はな》さずに、ウオツカを一|杯《ぱい》注《つ》いでは呑乾《のみほ》し、而《さう》して矢張《やはり》見《み》ずに胡瓜《きうり》を手探《てさぐり》で食《く》ひ缺《か》ぐ。
 三|時《じ》になると彼《かれ》は徐《しづか》に厨房《くりや》の戸《と》に近《ちか》づいて咳拂《せきばら》ひをして云《い》ふ。
『ダリユシカ、晝食《ひるめし》でも遣《や》り度《た》いものだな。』
 不味《まづ》さうに取揃《とりそろ》へられた晝食《ひるめし》を爲《な》し終《を》へると、彼《かれ》は兩手《りやうて》を胸《むね》に組《く》んで考《かんが》へながら室内《しつない》を歩《ある》き初《はじ》める。其中《そのうち》に四|時《じ》が鳴《な》る。五|時《じ》が鳴《な》る、猶《なほ》彼《かれ》は考《かんが》へながら歩《ある》いてゐる。すると、時々《とき/″\》厨房《くりや》の戸《と》が開《あ》いて、ダリユシカの赤《あか》い寐惚顏《ねぼけがほ》[#ルビの「ねぼけがほ」は底本では「ねぼけがは」]が顯《あら》はれる。
『旦那樣《だんなさま》、もうビールを召上《めしあが》ります時分《じぶん》では御座《ござ》りませんか。』
と、彼女《かのじよ》は氣《き》を揉《も》んで問《と》ふ。
『いや未《ま》だ……もう少《すこ》し待《ま》たう……もう少《すこ》し……。』
と、彼《かれ》は云《い》ふ。
 晩《ばん》には毎《いつ》も郵便局長《いうびんきよくちやう》のミハイル、アウエリヤヌヰチが遊《あそ》びに來《く》る。ア
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