服《ふく》を着換《きか》へて茶《ちや》を呑《の》み、其《そ》れから書齋《しよさい》に入《はひ》るか、或《あるひ》は病院《びやうゐん》に行《い》くかである。病院《びやうゐん》では外來患者《ぐわいらいくわんじや》がもう診察《しんさつ》を待構《まちかま》へて、狹《せま》い廊下《らうか》に多人數《たにんず》詰掛《つめか》けてゐる。其側《そのそば》を小使《こづかひ》や、看護婦《かんごふ》が靴《くつ》で楝瓦《れんぐわ》の床《ゆか》を音高《おとたか》く踏鳴《ふみなら》して往來《わうらい》し、病院服《びやうゐんふく》を着《き》てゐる瘠《や》せた患者等《くわんじやら》が通《とほ》つたり、死人《しにん》も舁《かつ》ぎ出《だ》す、不潔物《ふけつぶつ》を入《い》れた器《うつは》をも持《も》つて通《とほ》る。子供《こども》は泣《な》き叫《さけ》ぶ、通風《とほりかぜ》はする。アンドレイ、エヒミチは恁云《かうい》ふ病院《びやうゐん》の有樣《ありさま》では、熱病患者《ねつびやうくわんじや》、肺病患者《はいびやうくわんじや》には最《もつと》も可《よ》くないと、始終《しゞゆう》思《おも》ひ/\するのであるが、其《そ》れを又《また》奈何《どう》する事《こと》も出來《でき》ぬので有《あ》つた。
 代診《だいしん》のセルゲイ、セルゲヰチは、毎《いつ》も控所《ひかへじよ》に院長《ゐんちやう》の出《で》て來《く》るのを待《ま》つてゐる。此《こ》の代診《だいしん》は脊《せ》の小《ちひ》さい、丸《まる》く肥《ふと》つた男《をとこ》、頬髯《ほゝひげ》を綺麗《きれい》に剃《そ》つて、丸《まる》い顏《かほ》は毎《いつ》も好《よ》く洗《あら》はれてゐて、其《そ》の氣取《きど》つた樣子《やうす》で、新《あたら》しいゆつとり[#「ゆつとり」に傍点]した衣服《いふく》を着《つ》け、白《しろ》の襟飾《えりかざり》をした所《ところ》は、全然《まる》で代診《だいしん》のやうではなく、元老議員《げんらうぎゐん》とでも言《い》ひたいやうである。彼《かれ》は町《まち》に澤山《たくさん》の病家《びやうか》の顧主《とくい》を持《も》つてゐる。で、彼《かれ》は自分《じぶん》を心窃《こゝろひそか》に院長《ゐんちやう》より遙《はるか》に實際《じつさい》に於《おい》て、經驗《けいけん》に積《つ》んでゐるものと認《みと》めてゐた。何《なん》となれば院長《
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