かほ》を洗《あら》ひ、病院服《びやうゐんふく》の裾《すそ》で拭《ふ》き、ニキタが本院《ほんゐん》から運《はこ》んで來《く》る、一|杯《ぱい》に定《さだ》められたる茶《ちや》を錫《すゞ》の器《うつは》で啜《すゝ》るのである。正午《ひる》には酢《す》く漬《つ》けた玉菜《たまな》の牛肉汁《にくじる》と、飯《めし》とで食事《しよくじ》をする。晩《ばん》には晝食《ひるめし》の餘《あま》りの飯《めし》を食《た》べるので。其間《そのあひだ》は横《よこ》になるとも、睡《ねむ》るとも、空《そら》を眺《なが》めるとも、室《へや》の隅《すみ》から隅《すみ》へ歩《ある》くとも、恁《か》うして毎日《まいにち》を送《おく》つてゐる。
新《あたら》しい人《ひと》の顏《かほ》は六|號室《がうしつ》では絶《た》えて見《み》ぬ。院長《ゐんちやう》アンドレイ、エヒミチは新《あらた》な瘋癲患者《ふうてんくわんじや》はもう疾《と》くより入院《にふゐん》せしめぬから。又《また》誰《ゝれ》とて這麼瘋癲者《こんなふうてんしや》の室《へや》に參觀《さんくわん》に來《く》る者《もの》も無《な》いから。唯《たゞ》二ヶ|月《げつ》に一|度《ど》丈《だ》け、理髮師《とこや》のセミヨン、ラザリチ計《ばか》り此《こゝ》へ來《く》る、其男《そのをとこ》は毎《いつ》も醉《よ》つてニコ/\しながら遣《や》つて來《き》て、ニキタに手傳《てつだ》はせて髮《かみ》を刈《か》る、彼《かれ》が見《み》えると患者等《くわんじやら》は囂々《がや/\》と云《い》つて騷《さわ》ぎ出《だ》す。
恁《か》く患者等《くわんじやら》は理髮師《とこや》の外《ほか》には、唯《たゞ》ニキタ一人《ひとり》、其《そ》れより外《ほか》には誰《たれ》に遇《あ》ふことも、誰《たれ》を見《み》ることも叶《かな》はぬ運命《うんめい》に定《さだ》められてゐた。
しかるに近頃《ちかごろ》に至《いた》つて不思議《ふしぎ》な評判《ひやうばん》が院内《ゐんない》に傳《つた》はつた。
院長《ゐんちやう》が六|號室《がうしつ》に足繁《あしゝげ》く訪問《はうもん》し出《だ》したとの風評《ひやうばん》。
(五)
不思議《ふしぎ》な風評《ひやうばん》である。
ドクトル、アンドレイ、エヒミチ、ラアギンは風變《ふうがは》りな人間《にんげん》で、青年《せいねん》の頃《ころ》
前へ
次へ
全99ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
チェーホフ アントン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング