た事《こと》も、月《つき》さへも氣味《きみ》惡《わる》く見《み》た事《こと》も、以前《いぜん》には思《おも》ひもしなかつた感情《かんじやう》や、思想《しさう》を有《あり》の儘《まゝ》に吐露《とろ》したこと、即《すなは》ち哲學《てつがく》をしてゐる丁斑魚《めだか》の不滿足《ふまんぞく》の事《こと》を云《い》ふた事《こと》なども、今《いま》は彼《かれ》に取《と》つて何《なん》でもなかつた。
彼《かれ》は食《く》はず、飮《の》まず、動《うご》きもせず、横《よこ》になつて默《もく》してゐた。
『あゝもう何《なに》も彼《か》もない、誰《たれ》にも返答《へんたふ》などするものか……もう奈何《どう》でも可《い》い。』と、彼《かれ》は考《かんが》へてゐた。
中食後《ちゆうじきご》ミハイル、アウエリヤヌヰチは茶《ちや》を四|半斤《はんぎん》と、マルメラドを一|斤《きん》持參《も》つて、彼《かれ》の所《ところ》に見舞《みまひ》に來《き》た。續《つゞ》いてダリユシカも來《き》、何《なん》とも云《い》へぬ悲《かな》しそうな顏《かほ》をして、一|時間《じかん》も旦那《だんな》の寐臺《ねだい》の傍《そば》に凝《じつ》と立《たつ》た儘《まゝ》で、其《そ》れからハヾトフもブローミウム加里《カリ》の壜《びん》を持《も》つて、猶且《やはり》見舞《みまひ》に來《き》たのである。而《さう》して室内《しつない》に何《なに》か香《かう》を薫《く》ゆらすやうにとニキタに命《めい》じて立去《たちさ》つた。
其夕方《そのゆふがた》、俄然《がぜん》アンドレイ、エヒミチは腦充血《なうじゆうけつ》を起《おこ》して死去《しきよ》して了《しま》つた。初《はじ》め彼《かれ》は寒氣《さむけ》を身《み》に覺《おぼ》え、吐氣《はきけ》を催《もよほ》して、異樣《いやう》な心地惡《こゝちあ》しさが指先《ゆびさき》に迄《まで》染渡《しみわた》ると、何《なに》か胃《ゐ》から頭《あたま》に突上《つきあ》げて來《く》る、而《さう》して眼《め》や耳《みゝ》に掩《おほ》ひ被《かぶ》さるやうな氣《き》がする。青《あを》い光《ひかり》が眼《め》に閃付《ちらつ》く。彼《かれ》は今《いま》已《すで》に其身《そのみ》の死期《しき》に迫《せま》つたのを知《し》つて、イワン、デミトリチや、ミハイル、アウエリヤヌヰチや、又《また》多數《おほく》の人《ひと》の
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