に差出《さしだ》してゐる農婦《のうふ》に怒鳴《どな》り付《つけ》る。『俺《おれ》の用《よう》の有《あ》るのが見《み》えんのか。いや過去《くわこ》は思《おも》ひ出《だ》しますまい。』と彼《かれ》は調子《てうし》を一|段《だん》と柔《やさ》しくしてアンドレイ、エヒミチに向《むか》つて云《い》ふ。『さあ君《きみ》、掛《か》け給《たま》へ、さあ何卒《どうか》。』
 一|分間《ぷんかん》默《もく》して兩手《りやうて》で膝《ひざ》を擦《こす》つてゐた郵便局長《いうびんきよくちやう》は又《また》云出《いひだ》した。
『私《わたくし》は決《けつ》して君《きみ》に對《たい》して立腹《りつぷく》は致《いた》さんので、病氣《びやうき》なれば據無《よんどころな》いのです、お察《さつ》し申《もを》すですよ。昨日《きのふ》も君《きみ》が逆上《のぼせ》られた後《のち》、私《わたし》はハヾトフと長《なが》いこと、君《きみ》のことを相談《さうだん》しましたがね、いや君《きみ》も此度《こんど》は本氣《ほんき》になつて、病氣《びやうき》の療治《れうぢ》を遣《や》り給《たま》はんと可《い》かんです。私《わたし》は友人《いうじん》として何《なに》も彼《か》も打明《うちあ》けます。』と、彼《かれ》は更《さら》に續《つゞ》けて。『全體《ぜんたい》君《きみ》は不自由《ふじいう》な生活《せいくわつ》をされてゐるので、家《いへ》と云《い》へば清潔《せいけつ》でなし、君《きみ》の世話《せわ》をする者《もの》は無《な》し、療治《れうぢ》をするには錢《ぜに》は無《な》し。ねえ君《きみ》、で我々《われ/\》は切《せつ》に君《きみ》に勸《すゝ》めるのだ。何卒《どうぞ》是非《ぜひ》一つ聽《き》いて頂《いたゞ》きたい、と云《い》ふのは、實《じつ》は然云《さうい》ふ譯《わけ》であるから、寧《むしろ》君《きみ》は病院《びやうゐん》に入《はひ》られた方《はう》が得策《とくさく》であらうと考《かんが》へたのです。ねえ君《きみ》、病院《びやうゐん》は未《ま》だ比較的《ひかくてき》、食物《しよくもつ》は好《よ》し、看護婦《かんごふ》はゐる、エウゲニイ、フエオドロヰチもゐる。其《そ》れは勿論《もちろん》、是《これ》は我々丈《われ/\だけ》の話《はなし》だが、彼《かれ》は餘《あま》り尊敬《そんけい》をすべき人格《じんかく》の男《をとこ》では無《な
前へ 次へ
全99ページ中84ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
チェーホフ アントン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング