の頃になるとちょいちょい朝のうちに、彼女が食料品の買い出しに炊事女をつれて市場へ行く姿が見えるようになったが、彼女がうちでどんな生活をしているのか、家内の様子がどんなぐあいになっているのかということになると、当て推量をしてみるほかに手はなかった。その当て推量の種《たね》になったのは、例えば彼女がうちの中庭で例の獣医を相手にお茶を飲んでいて、男の方が彼女に新聞を読んできかせているところを誰か見かけた人があるとか、更にはまた、郵便局で出会ったある知合いの婦人に向かって、彼女がこんなことを言ったとかいう類《たぐ》いの事柄だった。――
「わたくしどもの町では獣医の家畜検査というものがちゃんと行なわれておりませんので、そのため色んな病気がはやるんでございますわ。のべつもう、人さまが牛乳から病気をもらったとか、馬や牛から病気が感染なすったとか、そんなお話ばかり伺いますのねえ。まったく家畜の健康と申すことには、人間の健康ということに劣らず、心を配らなくてはなりませんわ」
 彼女の言うことは例の獣医の考えそのままの受け売りで、今では何事によらず彼と同じ意見なのだった。してみればもはや、もともと彼女は誰かに打ち込まずには一年と暮せない女で、今やその身の新しい幸福をわが家の離れに見出したのだということは、語るに落ちた次第だった。ほかの女だったら世間の非難を浴びずに済みそうもないこの出来事も、オーレンカのことだとなると誰ひとりとして悪く思う気にはなれず、彼女の身の上のことは何事によらずもっとも至極とうなずけるのだった。彼女も獣医も、二人の仲におこった変化のことは誰にも打ち明けず、ひた隠しに隠していたけれど、あいにくこれが二人の注文どおりに行かなかったというわけは、オーレンカがおよそ秘密なんていうことは柄《がら》にもない女だったからである。男のところへ連隊の同僚がお客にやって来たりすると、彼女はお茶をついでやったり夜食を出してやったりしながら、牛や羊のペストの話、おなじく結核の話、その町の屠殺場の話などを滔々《とうとう》とやりだすので、男の方ではすっかり閉口してしまい、お客の帰ったあとで彼女の手をぐいとつかまえて、腹立たしげに声を尖らせるのだった。――
「自分の分かりもしない話をするじゃないってあんなに頼んどくのにさ! 僕たち獣医同士で話をしている時には、お願いだから口出しはやめて下さい。
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