れがもう一ぺん、また一ぺん。彼女の肩も胸もともぴりぴりと打ち顫《ふる》え、しかも執念ぶかくのべつ同じ場所ばかり叩きつけている有様は、そのキーをピアノの胴中へ叩き込んでしまわぬうちはとても止《や》めまいと思われるばかりだった。客間は雷鳴でいっぱいになってしまった。何もかもが一つ残らずどよめき渡った――床も、天井も、家具調度も……。エカテリーナ・イヴァーノヴナの弾いているのは難しい経過句《パサージュ》で、まさにその難しさのゆえにこそ面白いといった、長ったらしく単調なところだったが、スタールツェフは耳を傾けながら、心の中では高い山のうえから石が降って来る、ばらばらとひっきりなしに降ってくる有様を思い描いて、ああ一刻も早く降りやんでくれればいいと念じるのだった。と同時にまた、エカテリーナ・イヴァーノヴナの姿が――額に落ちかかる髪の房を振り払いもせず、緊張のあまり薔薇色《ばらいろ》に上気して、いかにもがっしりと精力的なその姿が、ひどく好もしいものに思えるのだった。ひと冬をヂャリージで、病人と百姓の中に埋まって暮したあとで、この客間に坐って、この若くって優美な、おまけに恐らくは純潔な生き物をながめ
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