「さぐるような」は底本では「さぐるやうな」]眼を見たとき、スタールツェフはふっと不安におそわれて、またしてもこう考えた。
『よかったなあ、あのときもらっちまわないで』
 彼は別れの挨拶をしはじめた。
「夜食もあがらないでお帰りになるなんて、そんなローマ法がありましょうかな」とイヴァン・ペトローヴィチは彼を送って来ながら言うのだった。「それじゃあなた、何ぼ何でも垂直きわまるなさり方ですなあ。おいおい、一つ演《や》ってごらん!」彼は玄関でパーヴァに向かってそう言った。
 パーヴァはもはや子どもではなく、口髭《くちひげ》を生やした一人前の若者だったが、それが見得を切って片手をさし上げ、悲劇の声色《こわいろ》でこう言った。――
「ても不運な女《やつ》、死ぬがよい!」
 こうしたことが一々みんなスタールツェフの癇《かん》に障るのだった。馬車の中に腰をおろしながら、かつては自分にとってあれほど懐かしく大切なものだった、黒々とした家や庭を眺めやって、彼は何から何まで――ヴェーラ・イオーシフォヴナの小説のことから、猫ちゃんの騒がしい演奏のこと、イヴァン・ペトローヴィチの駄洒落《だじゃれ》のこと、パーヴ
前へ 次へ
全49ページ中42ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
チェーホフ アントン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング