ょっと考えてから言った。「ドミートリイ・イオーヌィチ、そう仰しゃって下さるのはあたし本当に有難いと思いますし、またあなたを御尊敬申し上げてもおりますわ。でも……」と彼女は立ちあがって、立ったまま後を続けた、「でも、堪忍して下さいましね、あなたの奥さんにはわたくしなれませんの。真面目にお話ししましょう。ねえドミートリイ・イオーヌィチ、あなたも御存じの通り、わたしは世の中で何よりも芸術を愛していますの。わたしは音楽を気ちがいのように愛して、いいえ崇拝していて、自分の一生をそれに捧げてしまいましたの。わたしは音楽家になりたいの、わたしは名声や成功や自由が欲しいんですの。それをあなたは、わたしにやっぱりこの町に住んで、このままずるずるとこの空虚で役にも立たない、もう私には我慢のできなくなっている生活を、続けろと仰しゃるんですわ。妻になるなんて――おおいやだ、まっぴらですわ! 人間というものは、高尚な輝かしい目的に向かって進んで行かなければならないのに、家庭生活はわたしを永久に縛りつけてしまうにきまってますわ。ドミートリイ・イオーヌィチ(と呼びかけて彼女はちらっと微笑《ほほえ》んだが、それは『ド
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