て考へることは不可能ではないかとかねがね思つてゐる。
日本でも、さういふ意味に於ける雄弁の伝統は、古来、軍記物語の類から講釈落語または歌舞伎劇の脚本等のなかにみられはするが、それは著しく職業的なものとしての発達のしかたをした。云ひかへれば、雄弁が万人の生活のなかに浸潤しなかつた。日本人の個々の教養となるやうな社会的要求がなかつたからである。これは結局、日本に於けるデモクラシイの思想の歴史と密接な関係があるのである。
ところで、明治以後、政治運動と共に、新しい雄弁の世界が時代の面に浮び出たことは周知の通りであるけれども、この政治演説なるもののひとつの型は、凡そ、「文学」の感覚とも、哲学の思索とも縁遠い粗雑な興奮の上に出来あがつたものであつて、わづかに、優秀な基督教牧師の説教が西洋の雄弁の伝統を承けついだかの観があり、若干の文学者が、或は戯作者的な好みから、或は美文調なる一種のリリシズムに混へて、甚だ手軽な雄弁を振り廻したに過ぎぬ。
しかし、西洋文学の影響は、次第に、文体の変革をもたらした。小説では漱石、荷風など、評論では白村、阿部次郎などのなかに、早くも、西洋的雄弁の正統的な訓練が
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