ことを申すのは、今こそ、われわれは、一斉に、不断はなかなかやれないことをやらうといふ勇気と自信とが湧いてゐるからであります。
 決死の覚悟といふことを云ひますが、身命をなげうつのは必ずしも外敵を前にひかへた瞬間だけでなくてもよろしい。国を危くする敵が、若し、われわれの不覚な心のうちに宿つてゐるならば、これと刺しちがへて死ぬのが忠義の道だと私は信じます。日本を、かくあらねばならぬ姿に返すために、お互は、先づ自分自身を鞭うちませう。
 年を取つたものは、習慣を改めるのに非常に骨が折れ、或は努力しても効果がない場合さへあります。私は、やゝ年を取つたものゝ部類でありますが、同年配以上の方々には、決して要求がましいことは申しません。たゞわれわれ年配の者でさへ、次に来るべき者のために、自分を叩き直したい念願でいつぱいなのは、敢て私一人だけではないと信じます。
 私は、先づ、自分で実行してゐることについて、主として青年諸君にご相談申したいのですが、なんでもないことで、若しそれが諸君のすべてによつて行はれたら、その日から、日本は、それだけでもうわれわれの望むところへ一歩近づいたと云へるやうな、ほんの、例であります。
 電車やバスなどの中で、青年諸君は病人でない限り必ず起つてゐること。座席が空いてゐて誰も腰かけるものがなければ、強ひてそれに及ばぬとも云へますが、しかし、起つといふことは一つの訓練であり、また、青年は乗物の中で凜然と起つてゐるのが一番青年らしいといふ意味に於ても、私は、これを是非奨めたい。女子青年もなるべくといふ範囲でこれに做つてほしい。
 序でながら、子供を連れた親が、子供を坐らせるために汲々としてゐるのは甚だ見苦しい。子供を起たせることは、そんなに心配なことではありません。却つて、七八歳以上の子供は、青年並に起たせる方が訓練になるのであります。
 こんなことでも、青年諸君が自発的に挙つてこれをやりはじめるといふ事実は、決してそれだけの効果には終りません。それは正に、遠大な理想を目指して進むわが日本国民の烈々たる意気の無言の表象であり、いはゆる国防国家建設への新しい時代の情熱が、正に発火点に達したことを告げ知らせるものであります。

 香港落ち、マニラ落ち、シンガポール将に落ちんとして、われわれは、相次ぐ海陸の大戦果に胸ををどらせてゐるのでありますが、お互にもう鼻を高
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