なることに変りはないのであります。
「大君のしこのみ楯」と勇んで出で立つたわれわれの兄弟、夫、父、親、息子たちは、いづれも、昨日までは、われわれと共にあつて、野良に出で、算盤をはじき、事務所に通つてゐたのであります。
戦場に於ける彼等の心構へをわれわれが日常の心構へとすることはできないでありませうか? 私は、必ずしもこゝで、生と死との問題を論ずるつもりはありません。
われわれの日常の御奉公は、立派に生きることであります。立派に生きるためには、先づ、何をおいても、存分に鍛へられなければなりません。仕事の上では、血のにじむやうな修業を積むことであります。そんな修業が今、何処で行はれてをりますか?
次には、生活の上での、家庭の躾けをやり直さなければなりません。此の躾けは、徒らに旧い型を押しつけるのでなく、新時代の健全な生活感情を盛つた、闊達明朗な風俗を作り出す基礎たらしむべきであります。躾けは、つまり、あらゆる意味に於ける家庭的訓練であります。たゞ単に礼儀作法を教へるといふやうなことでなく、困苦欠乏に堪へる習慣をつけ、常に秩序に服するよろこびを知らせ、真の恩義と、真に美しい心とを感じ得る能力を養はせ、すべての知識を知識としてでなく、これを人間の智慧として身につけさせることであります。そして更に、今日特に大切なことは、家の名、家の業に対する誤りのない自尊の念を植ゑつけることであります。
以上のことは、家庭だけの躾けで十分の効果をあげることはできません。学校も社会も、これに協力すべきはもちろんでありますが、私の考へでは、先づ、それぞれの家庭に於て、この際、次代の国民を育てるといふ重い責任を自覚した上で、是非ともこの方向に一歩を踏み出したいものだと思ひます。
家庭にこの風が起れば、学校の教育は非常に楽であります。社会も亦、これに応じて変つて来ませう。既に宣戦の詔書渙発以来、国民のゆるぎなき決意と満々たる抱負とは一人一人の表情のうちに読みとれるやうな気がいたします。
大東亜の指導民族として、この奇蹟にもひとしい、武力を中外に示すことのできた日本人が、他のすべての点に於て、後進諸民族の信頼と畏敬をかち得るために、われわれは、先づ、何をしなければならぬかといふ問題が、既に提出されてゐるのであります。
経済産業の領域では、それぞれ専門家の腕が振はれるでありませう。
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