のと思ふ。
「降《ふ》りやすまいな」
「大丈夫でせう」
「この馬は、前脚はたしかだね」
「大丈夫ですとも」
「君は弁当をもつて来たか」
「大丈夫です」
みな大丈夫で、私はたゞ、馬子君が背負つてくれてゐる鞄が重くはないか気になる。
杉の林の黒々と山肌をつゝんだ、その上を、さつと烟のやうなものが流れた。一陣の風がひやりと頬をなで、馬の鬣をふるはせた。山の頂がいつの間にか雲にとざゝれた。白樺の幹が大きくゆれた。空を仰ぐと、大粒の雨がばらばらと顔にあたる。
「おい、君、大丈夫か、これでも……」
「さあ……」
「僕は、着替へがないんだ。濡れると風邪を引くよ」
谷は見る見るうちに霧の海である。森が叫ぶ。嵐だ。
ギャロップ。宿ですぐに自動車を呼ばせ、高崎廻りで北軽井沢へ行くときめる。主人も、車の序に高崎まで送つてくれることになる。
「こゝが国定忠治の磔になつたところ……」
と聞いて、その場所に立つてゐる石地蔵を見ると、頭にかんかん初夏の日が当つてゐた。
つくづく下手な旅だと思ふ。下手が苦労を生み、苦労は即ち神経の浪費である。止んぬる哉。
底本:「岸田國士全集23」岩波書店
1990(平成2)年12月7日発行
底本の親本:「専売 第二九八号」
1937(昭和12)年6月1日発行
初出:「専売 第二九八号」
1937(昭和12)年6月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年11月12日作成
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