じめた。
そこで私は、ぼんやり「勇気」といふことについて考へてみた。
誰が云つたのか忘れたが、支那兵のなかにもなかなか強いのがゐて、勇敢に立ち向つて来るが、それはたゞ、向つて来るといふだけで、こつちにとつてはあんまり怖ろしくない。なぜなら、それ以上のことはできないからで、いよいよとなると、たゞ首を差しのべるだけだ、といふのである。
これがどこまでほんとだか私にはわからない。しかし、今度の戦争でも、さういふ支那式の勇気が発揮されてゐるやうに思ふ。
日本人の眼から見れば、この種の勇気は、まことにつまらぬものゝやうにとれるかも知れず、進む以上は一敵でも多くを屠ることこそ真の勇気であると考へられるであらう。
ところが、この違ひは、たしかに国民性によるものであるのみならず、軍隊としての士気、即ち、訓練と自信の相違にあること明かであつて、恐らく彼我立場をかへたならば、どういふ形で表れるか、これはちよつと判断がしにくいのである。
およそ今日、わが軍将士の眼覚ましい働きについては、これをかれこれ論ずるものもないくらゐであるが、その働きのよつて生ずる精神的な力、特に「勇気」の形に現れたところ
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