事変直後に、日本の新聞が姉のことを書きたてたもんだから、先生、南京に対して立場がわるくなつたらしくてね。それも、姉とわたしとで満洲へ行つたことをなにか日本のためのやうに書いたのが致命的だつたんです。困つたことをするもんですよ、新聞は……。親日家はみんな日本の新聞に親日家と書かれることをひどくおそれてゐるわけがわかるでせう」
手紙を書き終つた堀内氏は、
「ぢや、これをひとつ郵便で出して下さい。家内のゐどころがはつきりわかりませんから、宛名をかうしておきました。この家は日本でもわしの根城です」
私は、今迄見た限りは戦場のどういふ部分と云ひ得るかを考へた。戦線の後方と云つても、弾丸の音が聞えないくらゐのところでは、その言葉の感じとは隔りがあるやうに思はれた。
さつき○○を出るとき、ふと耳にはさんだその日の前線の情報にも、娘子関に向つた鯉登部隊が、地形の関係であらうか、敵の包囲を受けてなかなかの激戦中だとのことである。鯉登は事変当初からニユース面に登場した私の同期生の一人なのである。さういふ緊迫した情況も、此処にゐては、想像が眼に浮ばず、内地で号外の文句を読むのと大差はない。
堀内氏か
前へ
次へ
全148ページ中87ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング