《しき》りに何か囁き合つてゐる。
 突然、従軍僧の一人が、両手を挙げて、声を限りに叫んだ。
「天皇陛下万歳!」
 岸壁の人影は黒い塊りのやうに動かない。そして、それがそのまゝ船の反対の舷の方へ消えて行つた。
 私はしばらく甲板を歩き廻つた。自分に用意を促すといふやうな気持であつた。

     英国士官

 船室へはひつて、北支那の地図をひろげてみた。上陸後の行動について、あらましのプランを樹てゝおくつもりであつた。往復をいれて三週間といふ時日が限られてゐる。それ以上の暇は、絶対にとれない今の私である。万一の事故は計算にいれないまでも、この予定を勝手に狂はしては、第一に近く旗挙げ公演を控へてゐる文学座の諸君に相すまぬ。
 先づ天津に着いたら、各方面の情報をしらべた上、一番近い戦線を目ざすよりほかない。が、私の秘かに自分に与へた任務は、恐らく第一線の後方数キロの一地点に、三日ばかりぢつと腰をすゑてゐさへすれば果せるのではないか?
 新楽、石家荘、井※[#「こざとへん+徑のつくり、第3水準1−93−59]といふやうな地名が眼にうつる。
 その時、同室の若い英国人がはひつて来た。話をしてみる
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