を兼ねたものだとのことであつた。フランスの尼さんがいくたりとか、大胆にも砲火の下に蹲り、日本軍の進入を待つてゐたのだと聞けば、私の好奇心は動かざるを得ぬ。しかし、事情あつて、私はその訪問を思ひ止つた。
それから、商店街と覚しい通りへ出た。大きな店は大抵まだ閉つてゐる。閉つてゐる門には○○隊の貼札がしてある。曰く「居住者ナキ人家ニ入ルモノハ厳罰ニ処ス」。軍律の厳しさを思はせ、私は、ひそかに感謝の念にうたれた。
もう、北門の聳えてゐる前に来た。扉は重く鎖されてゐる。城壁の上を歩いてみる。幅は三間もあらうか。地下室を設けた散兵壕が、蜿蜒と続いてゐる。機関銃座がある。支那兵が弁当を食ひ散らした跡が歴然と残つてゐる。缶詰の空缶に蠅がたかり、砲弾の破片が脱ぎ棄てた靴と一緒にころがつてゐる。城壁の外はとみると、これはまた半永久陣地の帯が幾重にも築かれ、所謂戦車壕と呼ばれる深い堀が要所々々に掘つてある。土の色はまだ生々しく、夕暮の靄が底をつゝんでゐる。
街には灯がとぼらぬのに、空を仰ぐと月が白く浮び出てゐるのに気がつく。今夜は満月であつた。
城壁の上には、雑草と灌木が生ひ茂つてゐる。ナツメに似
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