方角が違ふやうである。仏租界を通り抜けねばならぬ筈だのに、日本租界からいきなり、反対の方角へ曲つて行く。
足を踏みならして、
「英租界」
と、私は念を押した。
車夫は耳を藉さない。見ると、外国租界には違ひないが、こんな方から廻つて行けるのか知らと思つてゐると、眼の前の洋館に伊太利の国旗がはためいてゐる。
どうしても変だと思つてゐるうちに、車はあるお城のやうな建物の門前へ、急に、勢よく梶棒をおろした。
広い中庭を前にしたそのクリーム色の総二階建は、軽快な円柱をアーチで結んだ如何にも南国的な廻廊に取巻かれ、その廻廊のところどころに、軍服姿の白人が、或は談笑し、或は靴を磨きしてゐた。
云ふまでもなく、こゝは、伊太利駐屯軍の兵舎なのである。
間違ひもかうなると愛嬌で、私も一向不満には思はなかつた。わざわざは来ないであらうところを見物させてくれたわけだから、賃銀を倍にしてやる決心をした。
やつとその辺を通りかゝるインテリ風の支那人に、手帳を出して“Talati House Hotel”と書いてみせたら、車夫にそれを説明してくれ、車夫は、さもがつかりしたやうな表情で汗を拭いた。
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