るほど話を聞けやわかるが、小説家なんて、そんなことまでするのかい」
「まあ、酔狂さ。しかし、戦争つていふものは現地でないとわからんね」
「うん、それやわからん。おれは、かうしてゐてもまだわからんやうな気がするよ」
「どうして? そんなことがあるものか」
「いや、まだまだ……」
 と、彼は、意味深い笑ひ方をした。
 それから、Sは私を傍らの副官に紹介し、同期生の噂に移り、支那の飛行機の問題を論じ、海軍の飛行技術と陸軍のそれとの本質的な区別を説き、
「さあ、昼だ。飯を食ひに行かう」
 飯を何処へ食ひに行くのかと訊いたら、すぐそばの村落に、夜はちやんと舎営してゐるのだとわかつた。
 護衛兵同乗の隊長用自動車で、部隊本部へ。そこはなるほど、民家を利用した立派な、立派とは云へないまでも小ざつぱりした宿舎である。
 本部将校のための食堂もできてゐる。
 当番の兵士は頗る美少年で、恭しく盆を捧げてお給仕をしてくれる。一汁一菜の野戦献立も、いくぶんは特別の吟味が施され、焚きたての麦飯は相変らずうまい。
「当分米が来ない形勢だつたもんだから、二三日前から節約を申渡したんだ。いや、腹いつぱい食ふなといふわけぢやない。代用食と半々にする手筈をきめてゐたところが、やつと今日あとが着いたんだ。さあ、遠慮なく食つてくれ」
「酒はどうだ? 不自由はしないか?」
「う? うむ……」
 と、言葉を濁し、Sは当番を顧みて、ウヰスキイがあれば出せと命じた。いや、あるにきまつてゐる。私が欲しいといふのではないのである。
「留守宅は東京だつたね。何かことづけはないか?」
 私が云ふと、彼は血色のいゝ顔を更に綻ばせ、
「いや、別にない、序があつたら、元気にやつてるつて伝へてくれ。こんな贅沢な部屋に住んでることも話してくれ。こつちへ来ないか。おれの居間だ」
 戦場と思へば、これでも贅沢といふ意味であらう。形ばかりの家具、寒々とした壁の下に白い毛布をひろげたベツトがある。
 二三年前、同乗中の飛行機が墜ちて、彼は大怪我をし、再起不能とまで伝へられたことがある。その後の健康について、私は訊ねた。
 彼はいくどもうなづくやうに首をふり、
「もういゝ」
 とあつさり答へた。
「自分で偵察に出かけることもあるんだらう」
「あるよ」
「よく下が見えるかい?」
「見えることもあり、見えんこともある」
「それや、高度次第だらうが、一度おれも乗せてみてくれないかなあ。日にちがなくつて前線まで出られないんだ。こゝで引つ返すのは少しいまいましいから」
「うむ……」
 と、考へて、
「まあ、そいつはよせ、見えやせんよ」
「しかし、新聞記者は爆撃機にさへ乗せてもらつてるぜ」
「貴様はよせ」
 なんと云つても、彼は相手にしないので、私は、妙に拍子抜けがして、そのまゝ口をつぐんだ。
 彼もどうやら気まづげであつた。
 この瞬間の印象を今想ひ出して、私は、彼の胸中を読む術のなかつたことを憾みとする。
 話は飛んで私が東京へ帰つた翌日であつたが、何気なく新聞の記事に眼を通すと、丁度私がSを訪れた日の直前、彼の部隊の○○機一機が、偵察飛行中、行方不明になつたことが発表されてゐるのである。
 Sは、さうしてみると、私が訪れた日は、このことで頭がいつぱいであつた筈だ。しかも、それをまだ私にも語る自由をもつてゐなかつたのだと思ふと、彼が私の申出を拒んだ理由も、いろいろ複雑な気持からであつたことがわかる。
「出てゐる飛行機が還つて来るまで、気が揉めるつちやないよ」
 さもあらうと、たゞ聞き流した私の耳は、彼のストイツクな沈黙に恥ぢねばならぬ。

     舎営風景

 Sはまだ此処へ着いたばかりで、部下の宿舎をゆつくり巡視する暇がなかつたらしく、私にも見て行かぬかといふので、二人は車を待たして一緒に本部を出た。
 村落は全体で人家が五十戸もあらうか、わりにちやんとした門構へでそのくせ中へはひると、それほどでもないといふやうな家が多く、このへんもやはり住民の大部分は何処かへ姿を消してゐた。
 宿舎はすべて、住民のゐない家に限られてゐるが、なかに一軒、門の扉へ「日本軍入ルベカラズ」といふ貼紙がしてあるのがある。
「これはどういふんだい、誰が貼つたんだらう?」
 私は不審に思つて訊ねた。
「ふゝん、こつちで粘つたんだらう」
「こつちとは? 日本軍でかい?」
「さうさ」
「まるで、向うがやつたやうだね。すると、なんのためかねえ?」
「いや、夜になると部落の女どもを集めて番をしてやるんだよ。親切なもんだらう?」
「ほう、なるほど、それやよく気がついた。用心をするに越したことはないね」
 二人は笑つた。
 この時、私は端なくも、欧洲大戦の時、フランスの村落へ侵入したドイツ軍の兵士が、村の若い娘たちと意気投合してしまつたといふ話
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