を聴かせていたゞけたら、大へんうれしいと思ひます」
 通訳者の迷惑も顧みず、私はひと息に喋つてしまつた。
 が、どうやら趣旨だけは通じたと見え、劉氏が徐ろに口を開いた。この人は、たしか、上海に於ける左翼運動のリイダアの一人であつたとか、その後転向して反共運動に投じたのだといふ話を前もつて聞いてゐたから、私は、その雄弁のお里が知れる気がして興味を覚えた。熱情を織りまぜて理論を運ぶことになれたあの一種の型は、世界共通とでも云ひたいほどである。通訳がところどころにはひる。それでもう訳したのかといふ、納まらぬ顔附がありありと読みとれる。が、彼は続ける。
 日本語に移された部分について云へば、この座談会はまつたく散漫至極なものであつた。
 二三の質問を発しはしたが、私の訊きたいことはまともに答へられず、僅かに日本語達者な柯、関両氏がその親日的辞令をもつて、あたらずさはらずの意見を述べるだけである。

     デリカシイについて

 座談会を切り上げて、一同食卓につく。扉を距てたホールでは、ダンスがはじまつてゐる。
 フランス人の給仕頭が平服のまゝで酒の注文をきゝに来る。
 速記者の※[#「にんべん+(鼕−鼓)」、第3水準1−14−17]錚君は菜食主義者だといふことがわかり、私は給仕頭に、なんとかならぬかと相談する。卵はどうか。卵もいかぬ。ソースも肉汁がはひつてゐては困る。サラダならよささうだが、マイヨネーズは卵の黄味を使ふから駄目だ。やつとバタだけはよろしいとあつて、ハウレンサウのバタいためを皿へ山盛り持つて来させる。給仕頭はヴエジエタリアンといふ言葉を知らなかつたのである。
 日本人と支那人ではどういふところが違ふかといふ話になる。
 第一に、ちよつと見たところでは、日本人だか支那人だかわからない顔があると、誰かが云ひ出す。さう云へば、さつき、関瑾良氏がはひつて来た時、私は、日本人だとばかり思つてゐた。名刺を出されても、まだ、関《せき》なにがしと読んで、日本人側が一人ふえたものと早合点をし、そのつもりで話をしかけたくらゐである。柯氏も亦、よく日本人と間違へられるといふ。なるほど、さう云へば支那人には珍しいずんぐり型である。そして、この二人とも、不思議なことには、日本に長く住んで、日本を識ること最も詳しいのである。
 柯氏曰く、
「日本人と交際をして一番われわれが苦痛に感じるのは、例へば、日本人に物を貰ふ、或は御馳走になる、すると、その後会つた時、必ずお礼を云はなければならない。先日は誠に、といふ具合に、ちやんと挨拶をしないと、あいつは怪しからんと云はれる。忘恩の徒だといふことになる。少くとも礼儀を知らん奴と思はれる。これは、支那人の習慣と違ひます。こつちは、決してそれを忘れてゐるわけでもなければ、有難く思はないわけでもない。しかし、それを口に出して云ふのは可笑しいぐらゐに思つてゐる。何時かは返礼をするつもりだし、それも、直接にそのお返しをするのではなく、たゞ厚意に酬いるに厚意をもつてする機会を待つてゐるわけです。ところが、日本人は、それでは承知しない。黙つてゐると感謝のしかたが足りないと思ふ。顔を見たら、すぐ、その相手から何を貰つたか、いつ御馳走になつたかを憶ひ出さなければならぬといふことは、これは、われわれには辛い。支那人同士は、さういふことで、恩を着せたり着せられたりしないのです」
 この話は実に面白いと思つた。
 ところで、私は、その後日本へ帰つて、信濃憂人といふ人の訳した「支那人の見た日本人」といふ本を読んだが、たまたま、黒海震なる一支那人の「日本留学日記抄」の中に、次のやうな記事がある。
「十二日。日本人は本当にケチ臭い人間だ。一円何十銭か出して支那料理の一遍も奢つてやるとか、或は、飲食品の一番安いところでも贈つてやると、何度も何度も仰山にお礼を云ふことは請合で、たとへそれから何年かたつた後にでも、何時何処そこでは御馳走にあづかりましてなどと、まだお礼を云ひだすものである。
 私が今度鈴木さんの家に越して来た最初の日に、一箱の白砂糖を買つて鈴木さんにあげようと思つてそれを持つてあの人の前まで行くと、鈴木さんは早速跪いて、何だかよくはわからないが、くどくどとお礼の文句を述べたてられたので、私はまつたく途方に暮れて泣きだしたくなつた。かういふことはわれわれの国では決してみられないことである」
 これでみると、われわれは、やるとか貰ふとかいふことに、そんなにこだはつてゐるのかと、変な気持になる。
 日本語を話さない人はつい黙り勝ちになり、さもなければお互に支那語で喋り合ふといふ具合で、私はやうやく隣席の胡※[#「藩」の「番」に代えて「位」、第3水準1−91−13]棕氏から反共戦線社の事業について説明を聴いたくらゐである。同氏の云
前へ 次へ
全37ページ中35ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング