後を壮烈なものとしようとする祈願は、日本軍の所謂「神速な行動」の基礎である。
なるほどと、私は思つた。
が、こゝでちよつと面白いと思ふのは、日本人の勇気は、支那人のそれとも、西洋人のそれとも違ふのは確かだとして、さて、東洋と西洋とを比べてみた時、日本人と支那人とに共通なある一点が発見されはせぬかといふことである。この比較は、支那軍を敵として無理に高く評価することにはならぬと思ふ。
「生命」または「死」といふものに対する、東洋的なある種の観念が、たまたま、二つの民族の間で、別個のニユアンスをもつて、その戦ひぶりを彩つてゐるといふだけの話である。
私は別にこゝから教訓を引出さうとは思はぬ。戦ひは現に、この両民族の手で戦はれ、欧米人は、その光景に戦慄しつゝある。
われわれは、どちらかと云へば、殺戮の悲劇に眼を蔽ふことを恥ぢ、「生きんとするもの」の叫びをたまたま滑稽に感じる風習に慣らされてゐることを告白せねばなるまい。
私はまだ飛行機の上にゐるのである。外をみると、何時のまにか、もう例の大浸水地帯の上にさしかゝつてゐる。雲がきれぎれに浮んでゐる上へ、翼の影をおとしながら、高度八百の水平飛行である。
空の一角に地上の部落が映つてゐるのかと思ふと、それはやはり、水面に浮ぶ村々の眠つてゐるやうな姿であつた。それほど、眼界は広漠として高いのである。
たちまち、綿雲が地上を包んだ。その代り空は緑色に輝きだした。私は眼をつぶつて、再び瞑想に耽るより外はない。
が、それからの、とぎれとぎれの夢は、まつたく事変とは関係のないものであつた。
天津――北京
天津の街では円タクを拾ふといふことが不可能である。平生はどうか知らぬが、只今は流し自動車など一台も見当らぬ。
私の拾つた人力車は、勿論、私の言ふことは通じないらしい。
「タラチ・ハウス・ホテル」
なんども繰返したが、駄目である。
「英租界」
と、いくぶん、支那語風に発音して聞かせたけれど、車夫は困惑の態に陥るばかりだ。
「タラチ・フアンテン」
と云ひ直した。飯店とはホテルのことである。
交通整理のお巡りさんがやつて来た。
これならわかると思つて、再び、タラチ・ハウス・ホテルを繰り返した。
彼はうなづいて、車夫に何やら説明したらしい。
車夫は、「なあんだ」といふ顔をして走りだした。
が、どうも
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