、隊長の天幕をぢつと睨み、命令一下を待つてゐるやうな姿勢が、息づまるほどの物々しさである。これ以上邪魔をすまいと思つたが、さて、行先はと考へる。北京へ直行するにしても、汽車では四五日を見ておかねばならぬ。若しや便宜を計つてもらへたらと、私は、Sにかう云つた。
「これから北京へ行かうと思ふんだが、飛行機の序はないかね?」
「序? さあ、おれんとこにはないが、待てよ……天津までぢやいかんか?」
「いかんことはない。それでもいゝ」
「○○司令部の連絡機に席が空いてないか、訊いてみてやらう」
 丁度、S自身、○○部へ出掛ける序があるとみえ、私も彼の車に同乗することができた。

     支那風呂

 南方邯鄲に通ずる道路は、交通のはげしいためか、ひどく傷んでゐる。
 日中はまだ相当に暑い。強行軍の徒歩部隊が、砂塵のなかをぐんぐん押して行く姿が目につく。胸の釦を外し、手拭を口にくはへ、戦帽の後ろに汗がにじんでゐる。根かぎり歩くのだといふ決意が、一人一人の顔色にうかがはれる。隊長は黙々と軍刀をつき、時々、隊列の乱れを気にしてゐる。ひと足おくれかけた兵士は、背嚢を両臂で支へ、前のめりに追ひ附かうとあせる。飯盒が音を立てるのは中身の乏しい証拠である。今夜は、何処で泊るのか。そこには何が待つてゐるか。せめて喉をうるほすに足る清水でも湧いてゐてくれ。
「おい、こら、みろ。徒歩部隊は、かういふ時は辛いぞ。お前らは、まるで大尽だ」
 Sは、運転手台の兵士らに声をかけた。
 ○○に着く。
 Sについて上つて行くと、彼は、
「ちよつと待つてくれ」
 と云つたまゝ、一室の中へ姿を消した。私は、戸口で、ぼんやり待つてゐた。この部屋のなかでは、重要な作戦が籌らされてゐるのだなと思ひながら、私は、廊下を往つたり来たりし、煙草を一本喫ひ、ノートを取出して、ふと浮んだことを記し、などしてゐると不意に後ろで靴の音がした。
 ○○の一将校が、銃に着剣をした○○兵を従へて、のつそり歩いて来た。私は、手摺を背にして道をあけると、その将校は、私の前に立ち止つて、じろじろ私の顔を見、「お前は何者だ」と云はんばかりの表情で私の返答を待つ身構へをした。
 そこで、私は、先づ、自分の風体といまゐる場所を考へ、なるほど不審に思はれてもしかたがないと気づき、
「S部隊長を待つてゐるところです」
 と、甚だ要領を得ぬ弁解をした。
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