の自ら語るところを聴かう。
「わたしは支那の女を女房にしてゐます。北京にはもう二十年ゐますが、少しは御国のために働いたつもりです。女房が支那人だといふことは、わしが支那で仕事をする上の必要条件です。北京でMと云つて下さればわかりますが、これで見かけよりは信用がありますから」
 見かけはどうして、堂々たる紳士である。次に、自称「浪人」W氏、曰く、
「僕ですか、僕は別にこれといふ任務はないんです。ひとつ、これから黄河を渡つて、支那の真ん中に独立国でもこしらへようと思つてゐるんですが、うまく行きますか、どうか……。単身敵地へ乗り込んで行つての仕事ですから、下手をすれば生きては帰れません。文芸春秋はいつも愛読してゐます。文学のことはよくはわからんです。といふのは、少しは齧つてゐるといふことで、そのへんの連中とは違ひます。僕は、嘗て○○○の手記といふのを読んで感心した。○○軍を率ゐて南北を馳駆した時代のすばらしい記録です。内容も面白いが、文章がまた名文です。名文だと思ふんです、僕は……。それで、そいつを、仲間の川村といふ男と一緒に訳しかけてみたんです。川村といふのは、ほら、ご存じだと思ひますが、北京で桜井中佐の通訳をしてゐて、事変のはじめに戦死しましたな、あの男ですよ。僕は、そいつを川村の名で本にして出さうと思ひましたが、途中でこんなことになつたものだから、そのまゝで抛つてあります。ひとつ、お思召があつたら、それをなんとかして世に出して下さい。若し、いくらか金にでもなるやうでしたら、川村の遺族に送つてやつて下さればよろこぶでせう。原稿は北京にあります」
 と云つて、アドレスを附け加へた。
 みな相当に酔ひが廻つてゐる。従軍僧のA氏をつかまへて、「生臭坊主」と呼ぶものがあり、A氏は眼の縁を赤くして戦帽の庇を押しあげた。
 やがて食事が終らうとする頃、堀内氏が帰つて来た。
 新たな命令を受けて来たらしい。
 隊員は、早くそれを知りたがつた。
 が、彼は、先づ椅子を引き寄せて、静かに席に就いた。と、思ふと、いきなり、手袋をつかんで食卓の上に叩きつけた。
「××がやられた」
「××が……?」
 一同は、眼をみはつた。
「△△も死に、また××もやられたとなつたら、あとはどうなるんだ。わしがゐないのがわるかつた。無茶をやりよつたに違ひない。惜しいことをした」
 堀内氏は泣いてゐるのである
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