は可笑しいが、ちやんと駐車場でもこしらへて順番に車を呼び出すやうにすればなんでもないぢやないか。お巡りさんも、自分でそれぐらゐの智恵をしぼりさうなものである。ところが、そんなことは考へもせず、さうかと云つて、不埓な人民に棍棒の一撃を喰はすでもなく、たゞ、その時々に、効果の少い同じ骨折りを繰り返してゐるのは、悠長千万な話である。しかし、見やうによつて、これこそ馬鹿にならぬ風習だと、私はつくづく感じ入つた。なぜなら、人力車夫の取締は罰則を設けさへすれば容易にできるが、巡査が、彼等の無秩序を「殴つて」まで懲らしめようとしない、その平和主義は、一朝一夕の訓練で得られるものとは思はれないからである。
もちろん、その反面には、万一、巡査が暴力を振つたとしたら、あとの祟りが怖ろしいといふやうな事情があるかも知れぬ。それはつまり警察力の微弱を語るものであらう。
問題は、だから、そんなところにあるのではなく、かゝる無秩序そのものが、支那人の神経をさほど焦らだたせないのだと見る方が当つてゐるかも知れぬ。それゆゑ、どうかしたらよささうなものだと思ふのは、実は、こつちが見るに見かねてさう思ふのであつて、支那の巡査は、なに、これぐらゐのことはなんでもないと、案外、芝居をするやうなつもりで、ひと通りの役目を果してゐるのだとしたら、更に、支那といふ国は、恐ろしい国だと云はねばなるまい。
バスには私のほか、四五人の日本人が乗り込んだ。こつちも別に口を利かうとは思はず、向ふも、私の存在に注意を払ふ様子はない。同じ外国の旅でも日本が近すぎ、日本人を見あきてゐるせゐであらう。
古色蒼然たる大型バスを、でつぷりと肥つた運転手が、急がず慌てず操縦する。乗心地はさうわるくない。
厚い壁の上に葉の細かな並樹がしつとりと枝を垂れ、街は人通りがすくなく、乾いた路面が煙つたやうに長く続いてゐる。朱塗りの門をはひると、公園のやうな広場へ出るが、そこはもう、北京ホテルの前庭である。
堂々たる四階建の洋館が、なんと、がさつに見えることか。正面の廻転扉を押すと、中は国際色に満ちた大ホールである。西洋人の幾組かが茶を飲んでゐる。日本の将校が二人、中央の階段を駈け上る。帳場では、英仏日支の国語がちやんぽんに使はれてゐる。両替をするところがある。欧洲語書籍の売店がある。土産物の陳列棚と、その番をしてゐる支那娘がある。
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