離れてゐるからだ。日本人ならば歯を食ひしばるであらうところを、彼等は、ポカンと口をあけてゐるのである。日本人なら、すぐに後を向いて舌を出すところを、彼等は、夜、寝床へはひつてからででもなければ、それをやらないだらう。
 彼等が、日本軍の勝利をどう思つてゐるかといふこと、これは、さう一般的な問題として取りあげる必要はない。たゞ、支那を負かした日本が、将来、如何なる態度で、北支民衆の上にのぞむかといふ、そのこと自身が、彼等を永久の味方にするか敵にするかの分れ目だと思ふ。
 彼等に民族意識や国家観念がないといふ説も極端だし、彼等が抗敵精神に燃えてゐるといふ見方も度が過ぎるのではないか。すべては、日本人の標準で推しはかることは誤りのもとである。
 欧洲のやうなところでも、つまり、あれほど近代国家としての発達を遂げた国々でも、さういふ点になると、案外、矛盾した現象を屡々見せつけることは、いろんな物の本にも現れてゐるのである。
 モオパツサンの短篇など読むと、普仏戦争を題材にしたものが多いなかに、愛国精神と超国境的親和とが、同じ環境、同じ人物のなかに微妙な混りあひを示してゐることを誰でも感じるであらう。それは、或る場合には当然であるが、ある場合には、日本人の考へ及ばないやうな奇怪な場面をも繰りひろげるのである。
 欧米人が戦闘員と非戦闘員の区別をあんなにやかましく云ひたてるのは、やはり、日本的感情ではちよつと始末のできないものがあるのであらう。
 天津から北京への汽車は、平時と違つて、今は日に一度、それも、六時間たつぷり見ておかねばならぬ。
 前線へ出るときとはまた違つた興奮を以て、私は、北京といふ「万人渇仰の古都」を胸に描いた。
 乗客は日本人が大部分を占めてゐるやうに思はれた。しかし、駅々のプラツトフオームを見ると、大きな風呂敷包をかついだ支那人の数も相当に多い。
 満鉄の経営にうつつてから、この列車にも満洲人のボーイが乗り込み、日本語があまり達者なので私ははじめ日本人だとばかり思ひ込んでゐた。
 北京に近づくに従ひ、沿道の眺めは却つて物寂しく、秋の色が次第に深くなつていくやうに思はれた。それにしても、木の葉はまだ枝をはなれず、黄一色の濃淡に染めわけられた大自然は、巧まない絵のやうに奥床しい。
 が、いよいよ、北京の城門が見え、列車が駅の構内へ突入すると、私は、一種名状しが
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