、第一にどういふ人物が出来上るか、その成績次第できまるわけであるが、少くとも単なる就職といふやうな問題を離れ、演劇映画界が現在真に求めつつある人物の資格に対して、十分適応性のあることを信ずるものである。
こゝでひと言つけ加へておきたいことは、今日、映画の方面は企業として以外に存在しないのであるから、その組織のなかで、それぞれの技術の法則といふものに遵はなければならぬのであるが、演劇の方面では、殆ど、単独に開拓し得る無限の領域が残されてゐるのである。
私一個の理想からいへば、この学校の卒業生は、演劇映画界の一従業員となるばかりが目的ではないので、よろしく夢を抱いてそれぞれの郷里に帰り、地方の同志を糾合して、新しい演劇運動を起してもらひたいのである。或は、小学校児童の劇教育に協力することもよからう。農村の娯楽としての健全な素人劇をリードするのも面白い。郷土の古劇を復活させ、またはその研究によつて学界に寄与することも意義のある仕事である。
かう考へて来ると、明大演劇映画科の創設は、学校過剰といはれる現在、必ずしも高等遊民を世の中に送り出すことにはならぬと思ふ。日本の現代文化とその水準において、おそらくは、これこそ、すでにあるべきものが、今やうやく生れたのだといつても差支なく、ある人々の才能の芽が、はじめてほんたうに伸び育つ機会を、われわれは私心なく与へ得るであらうことを悦びとするものである。
入学資格は、中学卒業といふ規則になつてはゐるが、年齢の制限はない。中学を出てゐなくとも、試験さへ通れば別科に籍を置くことができる。文芸科として前例も多いことであるが、高等学校や、大学予科を終つたものにも、寧ろ、講義の程度からいへば、丁度いゝのである。最後に、明治大学のこの企てに、貴重な時間と労力とを割き、殆ど犠牲的に学生の指導を快諾された講師諸氏の熱意に感謝したい。
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明治大学文芸科創設以来、演劇に関する講座の充実を筆者は希望してゐたのであるが、偶々昭和十三年三月、学校当局の諒解を得て、文芸科を甲乙二類に分ち、演劇映画専攻の部門を新設した。右の一文は、東京日々新聞に発表したものである。
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底本:「岸田國士全集24」岩波書店
1991(平成3)年3月8日発行
底本の親本:「現代風俗」弘文堂書房
1940(昭和15
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