も、この明瞭な事態に処する道を講じてをらぬかのやうだからである。
 私はそれでも機会ある毎に、当事者を説いた。必要は認めるが、なかなか手が廻らぬといふ返事を聞かされることもあつた。すでに、名目だけでも、これに類する施設をもつてゐる場合、どうして、実績を挙げ得ないか?
 この点、いはゆる新劇の団体は、より遠い将来を目指してゐるから、それぞれ、研究所をもち、研究生の養成に努めてゐるが、私の知つてゐる範囲で、これに応募する青年男女の数は意外に多く、一週間に二百人を突破した例さへあるのである。ところが、実際、劇団所属の研究所といふものが、首脳部の良心的配慮と、指導者の犠牲的奉仕にも拘らず、常に満足な結果は得られないのである。経費と組織の上から、勢ひ、例の速成にならざるを得ないからである。

 一方、映画の方面は、これこそ年々志望者は増すばかりである。彼等の往くべき道は、たゞ、映画会社の採用試験にパスすることだけで、それから後は人間としても芸術家としても、殆ど伸び育つことができないのである。たまたまポスタアの上に名を連らねる好運に遇つても、十年後にはどうなるか? 大部分は職業的にも無用の存在となり終るのである。ほんたうなら、これからといふところで、一人前は愚か、専門家のセの字にもなつてゐない自分を発見する悲惨は、その例に乏しくないのである。
 これは、なぜかといふと、普通の学校を出て、すぐ演劇や映画の世界へ足を踏み込むと、さういふ世界のなかに何時の間にか作られた不健康な雰囲気に知らず識らず染まつてしまふ。つまり、この種の芸術が、常に根柢を危ふくされがちな、例の不純な娯楽性を先づ享け容れ、生活と教養を蔑視する風習に慣れ、著実な研究と正統的な修業の道を見失つてしまふのである。
 そこで、私は、時局多端の際、演劇映画の文化的役割を却つて重しとする信念のもとに、過去二年間、慎重熟慮の結果を、今度実現することにした。
 それは、私の預つてゐる明治大学文芸科の一部門に、いよいよこの四月から、演劇映画科といふ一科を新設したことである。
 文部省専門学校令に準拠するとはいへ、実はこれは、大学の課程に相当するもので、その点職業教育の実を直ちに挙げることは困難だと思ふが、少くとも、演劇映画方面に進まうとする人々のために、相当深い精神的準備を与へ得るプランである。
 演劇映画を一科としたのは、現在
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