有望な青年ぢやありませんか。かういふ青年は、一体どうしたらいゝでせう。われわれはたしかに、かういふ青年の心持はわかる。しかしそれを満足させ、安心させて、一意専心舞台的訓練を積ませる方法はないものでせうか。われわれは、あんまり呑気に、「来るべき時代」を待つてゐる形ではありますまいか。その「来るべき時代」を、われわれが作らなくつて、一体、誰が作つてくれるでせう。
われわれは、殆ど理想的な戯曲といふものを知つてゐる。しかし、それらの戯曲が、如何なる俳優によつて、如何に演じられ、如何なる舞台効果を収めたかといふことを、あまりに知らなさ過ぎる。われわれが書く戯曲は、如何なる俳優によつて演ぜらるべきかといふことを、あまり問題外にしてゐる。これは何も、俳優某にあて嵌めて書くといふやうなことゝは違ふ。つまり、俳優の能力、あらゆる意味で完成され、洗煉された俳優の表現能力といふものについて、あまりにも無智である。
これは、現在の俳優を向上させない一つの原因であり、同時にその結果は、俳優の芸術から、舞台的暗示を受け、作劇上の霊感を与へられるといふ劇作家の特権を失つてゐる理由である。
しつかりした劇評家
前へ
次へ
全9ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング