、まあ、われわれが仲間同志では云ひ合ふ必要のないやうなことを、誰にともなく云ふやうな具合になるであらう。
 文学賞のことでは、私個人としての意見はあるが、結局、一つや二つ出来たのでは、その目的が十分達せられぬといふ例として、仏蘭西の実例を参考に調べてもらつた。材料が不備で完全な報告は得られなかつたが、まあざつとこんなものである。
 文学サロンといふ題目を撰んだ意味は、そのこと自身時代ばなれがしてゐるやうであるが、それだけに、文学の歴史、文学者の社会的地位といふやうなものを考へさせる一つの契機になりはせぬかと思つたからである。
 文学オリンピヤアドの記事は、かういふ消息がとつくに文部省あたりへはひつてゐながら、一般は固より、日本の文壇の誰もが知らずにゐたといふ現象を、ちよつと皮肉に感じたから、文学者にとつては別に大したことではないが、ヂヤアナリズムの立場から酔興に取上げて見た。辰野隆氏に感想を依頼した着眼を認めてほしい。
 翻訳権の問題は、常識として議論にならないと思つてゐたが、久能木氏が専門家の立場から、頗る独創的と思はれる意見を発表してくれた。その他の方々には自由に題目を選んでいたゞ
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