べ立てる役を引受けた男は、何でも生きた金魚を丸呑みにしたといふ「豪傑」である。僕はしかし、フランス語を勉強するのは、結局国家の為めではないかとかなんとか理屈を捏ね、将来軍事探偵にでもなつて敵地の奥深く侵入するやうな気勢を示したものだから、対手の「豪傑」連もやゝ気が挫けたらしかつた。
その後、僕はモオパツサンを耽読し始めたが、例の「一生《ユヌ・ヴイイ》」は女が寝台に寝てその傍に男が跪いてゐる表紙絵のついてゐるもので、流石に、この表紙だけは破いてしまつた。何れにしても、学校では文学書などを読むことは禁ぜられてゐたし、そつと隠れて読むより外しかたがなかつた。しまひには、五六頁づゝ引きはがしてポケツトの中へ忍ばせて置き、野外演習の休憩時間などにも出して読み読みした。ある日、それを区隊長に見つかつて、何を読んでゐると聞かれ、その区隊長があまり語学が達者でなかつたのをいゝことにして、「はい、フランスの野外要務令であります」と答へ、その場を切り抜けたこともある。
習志野に舎営をしに行つた時、頭が痛いと云つて演習を休み、バラツクの陰に蹲つてツルゲエニエフの「貴族の家」を読んだことを覚えてゐる。
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