に期待するものであります。
 さて、こゝで、徐々に形づくられて行く国防国家といふ見地から、あらゆる文化部門の動員といふことが考へられる。これはどうしても必要である。戦争と文化と対立するものゝやうに云ふのは、一を知つて十を知らないのであつて、若しさうならば、かういふ時代には、国民の文化活動を悉く封じてしまへばいい。ところが、反対に、国家の一大危機に臨んで、国家自体が、文化の総動員を思ひ立つといふところに、大きな意義を私は見出すのであります。

       三

 第一に私は、かういふことを考へる。
 国民の一人一人は自分の仕事をもつてゐる。仕事と云つてもピンからキリまでありますが、その仕事は、単に生計を立てるため、俗に云ふ「食ふため」といふだけのものもあり、なかには、仕事そのものゝ社会的、或は国家的役割をはつきり標榜し得るものもある。「食ふため」だけと称する仕事のなかにも、それが社会にとつて、国家にとつて、なくてはならぬといふ性質のものもあり、社会或は国家のためと銘うつた仕事でも、これによつて、自分と自分の家族とを養ふ限り、職業と考へて差支へないものもある。
 平時は、自分の職業といふものについて、その職業本来の特性を守つてゐれば、それですんだのである。しかるに、時代はどうしても、職業と戦争とを結びつけ、これを国家の立場から眺め、無理にも公益優先といふ、自由職業にとつては、殆ど致命的な反省を強ひられる結果になりました。
 われわれは、同胞のかゝる犠牲を見て見ぬふりをしてはならぬと同時に、時局によつてなんら制限を受けない職業部門の人々が、この犠牲を当然埋める責任を負はねばならぬと信じてゐます。
 それはさうと、職域奉公即ち職業を通じての国家への奉仕といふ観念を、あまりに弄んではなりません。
 国家の機能、国民の生活といふものは、決して、概念の上に立つてゐるのではなくて、あくまでも具体性を備へたものである。官吏は机に向つてゐても国家といふ考へは念頭を去らないであらうけれども、料理場の板前は魚を俎の上にのせながら、祖国の運命を考へるとしたらそれはたゞ国民の至情そのものであつて、決して官吏や政治家が言葉で云ふ様な、スローガンめいたものではない。なんにも口では云はぬから怪しいなどゝいふことは、決してないのであります。これを、なんとか云はなければならぬと教へたものはない筈だ。し
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