れわれの眼前に新しき表現を以て提示せられ、今日われわれの「夢みつゝある舞台」は、その傍に於ては、小さく、醜く、愚かなるものとなつて、識者の憫笑を買ふに過ぎないものとなり終るであらうから。
 僕は、同劇場の第一回公演を観て、聊か卑見を述べて置いた(『新演芸』七月号)。その後、偶々小山内、土方両氏の弁明を聴く機会を得、その結果、僕は今後、築地小劇場とたゞ一点に於て、最も重大なる一点に於て異つた立場にあるべきことを気づいたのである。
 なぜ、重大であるか。それは、演劇の本質問題に触れてゐるからである。
「戯曲の価値と演劇の価値とは全然別物である」――「従つて、演劇の価値を戯曲の価値によつて批判してはならない」――「戯曲は文学である。演劇は文学ではない」――かういふ議論が出た。
 僕は答へる。――「戯曲の価値は演劇の価値を根本的に左右するものである」――「平凡な戯曲が演劇として、即ち、上演の結果、或る程度まで救はれることがある。然し戯曲の平凡さが演劇の効果を傷けることに於て少しも変りはない」――「演劇の価値を戯曲の価値のみによつて批判してはならない。それなら、何もいふことはない。然し、重ねて言
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