選が行はれたら、民衆の大部分は失望し、或は、創造の何物であるかを見失ひ、悪くすると因襲的趣味に囚はれて「日本文化」を逆転させる恐れがないとは云へないのである。大袈裟な物云ひをするわけではない。国家が伝統を重んじ、輿論の定まつたものに価値を与へる賢明な途を撰ぶのは当然であらう。たゞ、懼れるところは、日本国民を甘やかす側の仕事に重点がおかれはせぬかといふことである。
これが仮に、フランスの文学者が胸につけてゐるレジヨン・ド・ヌウルの赤いリボンの如きものなら、誰が持つてゐるといふことはもう問題でなく、誰がまだ貰はないといふことだけ、世間は注意するのであるから、当人よりも細君が一生懸命になり、友人知己を介して文部大臣にまだかまだかと責めたてる始末である。ところが、そんな運動をしないでゐると、つい当局は忘れてゐることがあるらしい。しかも、作家生活十年以上に及んで、相当文名があがる頃になると、もう勲章をもつてゐないことが一向目立たなくなるのだからよくできたものである。つまり、当然もつてゐることだとみんなが思ひ込んでしまふ。
そのうちに、たまたま、新聞に誰それは今度|勲三等《コンマンドウウル》になつたとか、勲一等《グラン・クロア》を貰つたとかいふ所謂昇叙の報道がでる。あ、さうかと思ふだけである。
最近私の眼にふれたのは、たしか、ポオル・ブウルジエといふ老大家が勲一等になり、スゴン・ヴエヴエル夫人といふ若くない女優が勲一等になつた時がある。劇評家のエドモン・セエがもう勲三等で十数年前は未だぴいぴいの新進だつたと記憶する。これはなるほど出世の早さうな温厚篤実な劇評家であつたと私はちよつと愉快であつた。
たゞこのレジヨン・ド・ヌウルは日本の金鵄勲章にも旭日章にも瑞宝章にも宝冠章にも、更にまた文化勲章にも相当するものであつて、職業を問はず、官民の区別なく、国家は平等にその国民としての社会的功績を表彰する形式をとつてゐることは、これまた国民性の然らしむるところであらうか。
底本:「岸田國士全集23」岩波書店
1990(平成2)年12月7日発行
底本の親本:「東京朝日新聞」
1937(昭和12)年2月15、16日
初出:「東京朝日新聞」
1937(昭和12)年2月15、16日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年11月12日作成
青空文庫作成ファイ
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