そのものの本質に反し、同時にこれを健全に進め、国民全体の納得を得ることは困難ではないかと、私個人は考へてをります。
 東洋には大義親を滅すといふ言葉さへあります。日本の発展のために我々国民が身命を捧げてそれ/″\の職域に於て、またその全人格をもつて、それ/″\の方向に邁進しなければならぬことは当然でありますが、徒らに、たゞ相手の悪口をいふことは文化運動のとる方法ではないと考へます。文化運動と政治運動との異るところは、そこにあるのではないかと思ひます。
 今日文化運動を進めて行く上に於て、各団体に於ても亦、翼賛会文化部自体に於ても、非常に大きな困難を感じ、又それが或る場合には唯一の障害であるかの如く考へられるのは、やはり文化運動に対する一種の無理解であることは勿論であります。然し、文化運動が健全に進められて行く時にはこの無理解は漸次消滅するといふ確信を私共は持ちたいと考へます。従つて場合によつては、その無理解に対して勿論、敢然として戦はなければなりませんが、戦ひの方法はあくまでもたゞ相手を責めるといふだけの形でなく進みたいものと思ふ次第であります。
 将来文化団体の活動の前に幾多の困難、幾多の障害があると思ひますが、正しいことであるのに障害があるとは不都合だとの考へでなく、むしろさういふ障害があることが今日文化運動を必要とする理由であるといふ風に考へたいと思ひます。私が申上げたいと思ふことは、実にこの一点だけであります。



底本:「岸田國士全集25」岩波書店
   1991(平成3)年8月8日発行
底本の親本:「文学界 第九巻第一号」
   1942(昭和17)年1月1日
初出:「文学界 第九巻第一号」
   1942(昭和17)年1月1日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年3月1日作成
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