上に、更に豊かに築きあげて行く生活全体の心構へと方法」なのであります。
 こゝで云ふ「生活」とは、もちろん、物心両面の生活です。衣食住を物質生活の面とすれば、知情意の働きが精神生活の面です。考へ、学び、信じ、愛し、戦ひ、苦しみ、敬ひ、美を感じ、これら「心の生活」、これは抑も人間の最も人間らしい姿の現れですが、こゝにまた人間の最も貴重な力がひそんでゐるのであります。科学も芸術も道徳も宗教も、この「心の生活」を豊かにし、力づけ、磨き清めるためのものであり、また、逆に云へば、豊かな、力強い、清澄な精神生活から、深い学問も、すぐれた芸術も、高い道徳も、あらたかな宗教も生れて来るのです。
 更にまた、この「心の生活」こそ、「物質生活」の原動力となり、これに秩序と品位とを与へるものであります。なぜなら、仮りに食事を例にとつてみても、人間はたゞ与へられたものをむしやむしや食べるだけではない。そこには栄養を基準にした材料の選択並びに調理といふ頭の働きと「技術」が必要であつて、それはもう精神活動の領域であります。その上、十分の咀嚼とか、「腹八分」でやめておくといふやうな習慣もつけなければならず、次に、食膳に向ふ時の礼儀作法、そのうちには、満足に食を与へられるものの感謝が籠められてゐる筈です。
 かう考へて来ると、食生活といふ問題だけでも、それは精神生活と別々に行はれるものとは決して云ひ難いのであります。
 諸外国を旅行して、いろんな人間のいろんな食事のしかたを見れば、もうそれだけで、その国の「文化」の一面を判断することができると云つても過言ではありません。料理のうまいまづいは先づ別として、また、貧富の程度による皿数の多少も問題外とします。たゞ、食事に対する観念、食器の種類、献立の巧拙、飲み食ひする一座の雰囲気などで、その人々の文化的水準乃至特徴といふものが如何に露はに示されるか、これは私自身、屡々経験したところであります。

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 こゝで「精神と技術」の問題に触れておきます。「精神」といふ言葉は、古来甚だ多く用ひられてゐますけれども、それがたゞ漠然と「こゝろ」といふ意味に使はれてゐる場合もありますし、また、可なりしばしば、「道徳」とか「意志」とか「頭脳」とか「思想」とかいふ限られた意味に使はれてゐる場合があるのです。更に、どうかすると、「気もち」
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