教養」を身につけることだといふ、今日一般に通用してゐる言ひ方もこゝではじめて間違ひないことになるのであります。「教養」と「文化」とはいはゞ手段と目的といふやうなものであつて、教養が深いといふことは、自ら高い文化を身につけてゐるばかりでなく、一国の文化を代表し、これを指導する役割をもつてゐることを意味してゐるのであります。
 これまで、「文化人」といふ妙な言葉が使はれてゐました。「知識人」とか「知識階級」とかいふ言葉の内容とも違ひ、これは、一般に精神労働とも称せられる仕事に従事する思想家的傾向のある学者、文学者を含む著述家、芸術家等を主に指すやうでありますが、時には、そのほかの職業に従事してゐるものでも、特に読書家であつたり、多少高級と思はれる趣味を解し、わけても文学芸術の愛好者であるといふやうな場合、これを「文化人」と呼ぶ習慣もありました。
 殊に注意すべきは、「文化人」と云はれるためには、多少、どこか西洋臭いところがなければならぬといふ漠然とした感じがあつたことであります。つまり、西欧的な教養と、「近代的文化」といふこととは、切離すことのできないものでありました。
 以上は、「文化」といふ言葉が、甚だ狭く、しかも歪んで考へられてゐた証拠であり、また、この言葉が西洋の言葉の翻訳であるために、「文化」そのものまで、なにか西欧的なものでなければならぬやうな誤つた観念から来た重大な錯覚であります。
 これと同じやうな言葉の濫用、考への不徹底が到るところにあります。例の「文化住宅」といふやうな言葉がそれです。
 元来、住宅などといふものは、最もその国の風土習慣を重んじなければならぬものであり、その建築は、いづれの点からみても、国民生活の特色を発揮し、時代の変遷に応じたその国の文化を如実に現すべき筈のものであります。従つて、厳密に云へば、文化住宅などといふ言葉は意味をなさないのでありますが、一歩譲つて、「文化」の最尖端を行く住宅建築のことを指すなら、それは第一に、民族興隆の意気と理想とを象徴するものでなければならないのであります。
 ところが、事実は、「文化住宅」といへば、概してもの欲しさうな和洋折衷の簡便主義、赤瓦青ペンキといふ風な植民地的享楽気分が土台になつてゐるのが普通であります。
 なるほど、「文化住宅」の設計者は、これこそ経済的条件のゆるす限り、合理的かつ趣味的要求
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