れた。所謂、写実の境界に慊らない作家は、なるほど、シェクスピイヤに走り、ミュッセに走りマアテルランクに走り、希臘に走り、中世に走り、更に様々な近代主義に走りはしたが、そして、仏蘭西現代劇は、文学的流派を超越して、殆ど無政府状態を現出しはしたが、なほ且つ、今日の仏蘭西劇、その本流を形造るものは、その手法の如何に拘はらず、「人間の魂の一層深き探究」である。
クロオデルとルノルマンとヴィルドラックとが、倶に先駆劇壇の舞台を闊歩する所以である。
こゝまで書いて来て、何んだか物足らない気がする。いろんなことを云はうとして、どれも満足に云へなかつたやうな気がする。こんなことなら、始めから作品本位の紹介に留めて置いた方がよかつたかも知れない。が、一体、文学史的に見れば、現代はまだ未知数なのである。世評や独断に従つて論議を立てることは慎みたい。
と云つて、公平な観方は、今から三十年、五十年後でなければ出来るものではない。
ついては、読者諸君は、此の紹介を読まれるに先立つて、前掲の『演劇一般講話』を一読された上、紹介者の立場を明かにして置いて、本文中の各作家に対する批評を味はつて頂きたい。さうし
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