した。
 ダダの詩人ジャン・コクトオが『エッフェル塔上の結婚』を発表し、未来派の作家ジイル・ガリイヌが『春の日のどよめき』を、ララ夫人の組織する『芸術と活動』社の試演舞台に上せたことも附記して置かう。ララ夫人の主張に関しては、本講話『演劇論』中で略説して置いた。
 勿論、まだ名を挙げれば挙げられる作家が可なりある。アカデミイ会員になつて、劇壇に重きをなしてゐる老大家の名さへ、わざわざ挙げなかつたのもある。(エミイル・ファーブル、ロベエル・ド・フレエル等)新進作家のうちでも、その才能に於て上述諸作家と比肩し得るものが、随分あるにはある。が、かういふ紹介の常として、幾分傾向批評が主になるのであるから、例へば、小説家として名声ある作家が、偶々脚本を書き、それが、戯曲としてさしたる特色もなく、その作家の芸術的才能に新しい一面を附加するといふやうなものでない時には、その作家は、こゝで問題にする必要はないと思つたのである。例へば、ロマン・ロオランやブウルジェの戯曲は、共に、われわれに取つて興味はないものである。それよりもアナトオル・フランスの小喜劇『クランクビル』には、まだ独創的な魅力がある。
 
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