オデル流の象徴的社会劇を試み、光輝ある未来を期待させ、大戦後『闘士社』『ラポアントとロピトオ』の二作を発表したが、予期の進境を示さないのみか、却つて前二作、殊にその小説に見るが如き思想の清澄さを欠き、僅かに天才的感性がその片影を留めてゐるに過ぎない。
 かゝる時、直接イプセンの影響を受けた「論議する芝居」の輝やかしい幕が、マリイ・ルネルウなる一女性作家の手によつて閉ぢられたことを特筆しなければならない。『解放されたもの』はブリュウの社会劇を足下に見下してゐる。
 欧洲大戦直前の仏国劇壇は、前に述べた如く、兎も角も、或る方向に大きく動いて行くやうに思へた。然し、如何なる時代に於ても「新しきもの」が生れ出ようとする時には、常に大きな障碍が控へてゐる。それは既成の地盤である。
 第二の自由劇場、第二のアントワアヌが現はれて来なければならない。
『仏蘭西新評論』社同人中に、演劇学者として、また評論家として、当時さゝやかな存在を認められてゐたジャック・コポオが、同人等の後援を得て、ヴィユウ・コロンビエ座を創立したのが一九一四年である。演劇の本質は、古来の劇的天才が、その不朽の作品中に遺憾なくこれを盛つてゐる。吾々は、その本質を探究吟味して、これを完全に舞台の上に活かし、凡ゆる不純な分子を斥けて、演劇の光輝と偉大さとを真に発揮せしめようといふのが、コポオの主旨である。新奇を衒ふ似而非芸術家と、因襲を墨守する官学的芸術家への挑戦である。
 ヴィユウ・コロンビエ座は、そこから「無名作家を世に出す」ことを誇る前に、明日の作家をして、演劇の本質を体得せしめ、彼等をして、「永遠に新なる」作品を創造せしめようとする。
 此の運動は、欧洲大戦のために、一時阻止されてゐた。

     四、欧洲大戦後

 欧洲大戦は、あらゆるものを覆へした。死の影が仏蘭西全土を包んだ。奪ひ取つたものゝ狂喜と取り残されたものゝ悲嘆が巴里の街頭に交錯した。婦人が経済的に独立し始めた。中産階級が姿を消した。神を信じてゐたものが神を呪つた。神を嘲つてゐたものが神の前に拝跪した。眼を「自己」の上から「民族」の上に転じた。その眼を、更に、「自己」の上に投げた。
 その渦中から、小説では、バルビュスの『砲火』デュアメルの『殉教者の生涯』が生れたに拘はらず、劇作の方面では、殆ど見るべきものがない。
 たゞ一九一六年、史詩的象
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