ある。彼の作品には「諷刺的神秘劇」の名が冠せられると同時に、また「象徴的社会劇」の名でこれを呼ぶことも許されるであらう。彼の魂は、加特力的信仰から生れる特殊的な理想に燃え、その体験には常人の窺ひうることが出来ない半面があるやうに思はれるが、最も傑れた詩人に賦与される調和と生気に満ちた想像力が、企まずして香り高き文体と相俟つて彼の作品に「偉大なる真理の閃き」を与へてゐる。
反ブウルジュワジイの思想、正義と寛大の信念が、その作の根柢を成してゐるところに、社会劇的の主張が潜んでゐるにはゐるが、その人物の飽くまでも「人間らしき生き方」に於て、彼の戯曲は、驚くべき熱と力とを感じさせる。
彼の劇作は、舞台的には、未だ満足な成功を示してはゐないが、彼が劇作家として本質的な天分を持つてゐることを疑ひ得ない以上、その作品の完全な演出は、未来の俳優を以てする未来の舞台を俟つより外はあるまい。彼は、今日まで既に前掲『正午の分配』の外、『マリイへの御告』『固き麺麭』『人質』等の名作を発表してゐる。『人質』の如きは、一九一三年オデオン座で上演された時、一般観衆にさへ大きな感動を与へ、連日満員の盛況を呈し、批評家をして意外の眼を見張らしめたと伝へられる。が、クロオデルは、自作の上演が、如何なる結果を生むかを知つてゐる。『正午の分配』は、まだ何処の舞台でも公演を許可しないことにしてゐる。
クロオデルが、或る意味に於て、「明日の戯曲」を導く作家であるとすれば、エドモン・セエは、この時代に於ける最も聡明にして魅力に富む仏蘭西劇伝統の継承者であらう。
エドモン・セエには、ポルト・リシュ程の鋭さはないが、ルメエトルの繊細さがあり、加ふるにルナアルの確かさがある。
彼は『羊』『麺麭のかけら』『若き日の友』等を発表して、近代人の心理を描くことに成功した。そして、その自然主義的手法は、洗練された趣味と気品に富む文体によつて、古典的な完成味を示した。殊に、その傑作たる性格喜劇『うつけ者』に於て、最も自由にその才能を発揮した。彼は、早くも劇作の筆を絶つて、専ら劇評に力を注いだが、最近また『秘密を託された女』を発表し、作家としての復活を企図した。然し、そこには、もう昔日の魅力を偲ばせる何ものもないやうである。
一九一〇年、第三次美術座を起して、舞台装飾に新機軸を示さうとしたルウシェは、先づサン・ジョルジ
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