左翼より拍手起る)…………
文部大臣――先を読みます。「ぶつた斬りのマリイ」……「そればかりでなくさ、時間はすぐたつちまうよ……。打ち合せだつてしなくちやならないし。七時の顔見世に遅れちや駄目だよ」
プウレット。六時に帰つといでよ、アプサントの時間だからさ……。
エリザ。のみ助! ぢや、七時十五分前まで……。
プウレット。(ほかの女たちを見返り)見ておやりよ、この色狂気をさ。
エリザ。あら、さうぢやないんだよ……。だつて、もう十五日も家ん中ばかりに引つ込んでたんだもの……。たまに一日ぐらゐ檻の外で暮したいよ……いい天気だね。ぶらぶら歩いてみたいね。
頬張月。そんなら、歩いといでよ、ぢや、今夜また……。
プウレット。云つとくけど、うつかり、つかまつたまま眠つちまつちや駄目だよ……。お神さんは、日曜ときちや、それこそ手におへないんだからね……。時間に間に合ふやうに帰つといでよ……。
第二場であります。恋人二人の場面であります。濡れ場であります。初めは極めて美しい場面であります。幼時の憶ひ出を語つた後、男はエリザに向つて「おお、エリザ……」と呼びかけます。エリザは「あああ、あたしが、働らかなくつてもいいからだなら……」そこで、男は、女を抱きながら後ろに倒さうとする。
中央の議員――文部大臣、もう沢山です。
文部大臣――なんですか。われわれは、真面目な問題を討議してゐるのです。(「先を読んで下さい」と叫ぶものあり)
もう一句だけであります。男は、草の中を、膝を突いたまま、女の後を追ふ。エリザ。あんたがはじめて来た時、あの時分のあたしは、それや、なんの役にも立たない女だつたの。来る男も……来る男も、汚ならしいことばかり云つてさ……殺してやらうと思つたことが幾度あるかしれない……。それに乱暴でさ……まるで獣さ……。それに、あんたは、あんただけは、それや、優しいんだもの……。大きな声ひとつ立てないで……。男は、だんだん興奮して、なほも女に近づかうとする。そして遂に、女の胴に腕を捲きつける。(議場また騒然。「モウヤメロ」と叫ぶものあり)
男は、相手を押へつけようとする。
諸君、作者は、かくの如くにして、この種の女の生活その儘を描かうとしたのであります。
レイベエル君――寄席の如く……。
文部大臣――恐らく、譬へ舞台の上に、妓楼の内部を現はしたとしても、これ以上完全に彼女らの生活を、観衆の眼前に髣髴せしめることは至難の業でありませう。この理由でこの脚本は、上演を許すことができないのであります。
ミルラン君が云はれるやうに、訂正すべき個所を指摘することは、かくの如き描写全般に亘る問題にあつては、何等その効力がないのみならず、一語一句が悉く一情景の芸術的要素として、動かすべからざる役目を務めてゐる場合、われわれの如き門外漢の協力は、却つて作者にとつて御迷惑であらうと、わざわざ差控へたのであります。遺憾ながら、文部大臣合作戯曲の処女公演は、次の機会に譲ることと致します。(笑声)
若し、ミルラン君が、作者と共に、この戯曲の部分的修正によつて上演を可能となし得ると信ぜられるなら、本大臣は、甚だ大なる芸術的興味と、満腔の好意とを以て、その研究に着手したいと思ひます。
アンマン伯爵――議場で読み上げるくらゐなら、公演を許しても差支ないではありませんか。
ミルラン君――文部大臣は作者自ら修正の個所を示せと云はれますが、これは不合理も甚だしい。
文部大臣――作者は、今日、禁止の理由を知つた以上、作者として、その理由を除く方法をとられることは御随意であるといふのである。
ミルラン君――繰り返して云ひますが、本員は、検閲の方針が場合によつて異るといふことを心外に思ふのであります。ところで、文部大臣はこの戯曲を以て上演不可能なるものとなし、しかも、その戯曲の一部を本議場に於いて朗読せられたのであります。それは既にある部分が公然上演せられても差支ないといふことを、文部大臣自身裏書をされたやうなものであります。文部大臣は恐らく、検閲官が禁止をした、カフエー・コンセールの小唄をこの議場で口吟まれることはできないでありませう。本員は飽くまでも、当局の態度が、淫靡軽薄なるこれら、俗謡に対する場合に、寧ろ寛であり、悲痛にして、厳粛な文学的作品に対して、却つて、厳であるといふ事実を責めようとするものであります。(盛なる拍手)
議長――これで討議を終ります。
議会傍聴はこれだけにしておくが、翌日、新聞フィガロは、この論議について、長文の社説を掲げ、最後に結んで曰く、「議会はかくて、一時間余に亘り、採決を要しないこの討議の一場面を喝采した。わが議員連は実際、あまり文学を談ずる機会をもたない。官報議事録を読むものは、演説中しばしば、不適当な半畳を入れるものがあり、彼等の大部分がいかに劇界の事情にうとく、作者、又は、批評家の社会的地位、乃至、権威に盲目であるかをたしかめ得た。然しながら、考へて見れば、地方の一選良は、敢てこの種の問題に精通する必要はないかもしれない。」
底本:「岸田國士全集20」岩波書店
1990(平成2)年3月8日発行
底本の親本:「時・処・人」人文書院
1936(昭和11)年11月15日発行
初出:「中央公論 第四十一年第四号」
1926(大正15)年4月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年2月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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