運命を背負はされてをるのであります。即ち、「娼婦エリザ」は、社会に対する呪咀の一幕であるといへます。
 ……なほ、娼家を監視する警察官を以て、一種の客引なりと断じたのは、決してこの作者が初めてではありません。(議場騒然)
 ブルウス君――諸君は子供ではないだらう。
 ミルラン君――本員の言葉遣ひが聞くに堪へないやうなものであるとは思ひません。が……。(続け給へ、と呼ぶものあり)
 ……警官をかくの如き名で呼んだ最初の人は――これを申しても誰の迷惑にもならぬと信じますが――それは、文部大臣の御同僚たるギュイヨオ君であります。同君の醜業婦に関する著書を見られるがよろしい。(笑声起る)ギュイヨオ君はその著書の中で、「娼婦エリザ」に関し、最も正しい批判を下してをられます。
 ギユイヨオ君(労働大臣)――その意見は今日も変更しません。
 ミルラン君――意見を変更されない、よろしい、本員もさう信じます。「娼婦エリザは椿の花を持てる婦人の群より離れて、貧しき少女の上に眼を転じたことが、世間を騒がせた」と云つてをられるのは至言であります。
 即ち問題は、劇場に於いて、この種の社会問題を取扱つた作品を上場することが、危険であるかどうかであります。(文部大臣首を横に振る)
 大臣は危険でないと云はれる、それならば、上演禁止の理由は作品の思想と関係はないことになります。或は、「娼婦エリザ」が公衆道徳を紊すものであると云はれるなら、政府検閲官が、今日まで、果して公衆道徳の完全な維持者であつたか、どうかは、知る人は知つてをるのであります。(左翼より「然り然り」と呼ぶものあり)毎夜、半裸体の婦人の群を舞台に上せ、卑俗極まる歌詞を高唱させてをる幾多の劇場や寄席は、一体どうしたのですか。これを取締らずして、一方、近代小説史上、最も偉大なる名を残すべき作家の一人、ゴンクウル氏並びに、批評家が挙つてその才能を謳歌しつつある新進アジュルベエル氏、この二人の名を冠した、厳粛にして道徳的な作品「娼婦エリザ」の上演を禁止するとは実に言語同断であるといはねばなりません。(拍手)
 ………………………………………………
 本員は、平素、その人格に多大の敬意を払つてをります文部大臣から、検閲の標準について明確な指示を与へられることを希望します……。あまり長く喋舌りすぎたやうです。(「そんなことはない」と叫ぶものあり)然しながら、問題はわが仏国の文学芸術に関する極めて重大な問題でありますから、敢て議員諸君の配慮を煩はす次第であります。(左翼議席より一斉に拍手起る)
 レオン・ブウルジュワ君(文部大臣)登壇――ミルラン君の御質問に対して、なるべく御満足なお答へを致したいと思ひます……。最も慎重に、最も自由な立場から、戯曲「娼婦エリザ」を研究審議致しました結果、公衆道徳の上から見まして、上演を禁止する必要があると信じたのであります。
 抑も検閲といふ法規が存在し、それを文部大臣が実施することになつてをりますが、時によると文部大臣の取つた処置を、不適当であると云ふものもあるでありませう。また時によると、文部大臣自ら自分の取つた処置を悔む場合もあることと思ひます。実際、検閲といふ役目ぐらゐ機微なものはありますまい。禁止をしたがために万人の恨を買ふこともありませう。許可したがために、また万人の譏りを受けることもないとは云へない。ただし作者を除いてであります。(笑声)
 兎に角、検閲といふものが存在する、これはどうすることもできない。事ある毎に、新聞などで検閲の不法を鳴らすけれども、決してこの制度はなくならないのであります。検閲はその実、劇作家一同の利益のために存在するとまでいはれてをります。それは、誰がさう云つたかといへば、最も大胆な、そして最もこの問題に関係のある、つまり、最も頻繁に、最も烈しく取締条令に触れた劇作家、アレクサンドル・デュマ・フィスその人であります……。彼の言に従へば、「検閲は姑のやうなものである。一緒にをると、だんだん要領を覚える。ただ、可なりの辛棒と、少しばかりの機転が必要だ」さうであります。(笑声)
 そこで、この度の検閲が、果して、邪慳な、うるさい、辛棒ができないほどの姑であつたかどうかを、一と通り考へてみたいと思ひます。
 その前に、ミルラン君から、寄席で唱ふ歌詞について御注意がありましたが、これは、検閲官も手を焼いてをる次第で、一旦禁止した歌詞が、無断で唱はれてをるやうなことが間々あるのであります。この問題について、これ以上申す必要はありますまい。直ちに「娼婦エリザ」問題に移ります。
 先づ、ミルラン君は、上演禁止の理由を質されました。
 このことについては、ゴンクウル氏自身が新聞記者に対して、答へた言葉を参考にしたいと思ひます。「今度の上演禁止については、あなたも、いくらか懸念をおもちにはなりませんでしたか」といふ問ひに対して、「さうですね、文句なしに通ると思ひませんでした。禁止されたと聞いて、さほど驚きもしませんでした」と云ひ、「この作品が社会問題を取扱ひ、政府の施設を攻撃したといふ点、ああいふ女の生活を如実に描いてあるといふ点、それは禁止の表面の理由であらうが、それよりも、当局と、脚色者アジャルベエルとの間に個人的の感情問題があるのです」
 諸君、この一項は、ゴンクウル氏の誤解であることを信じて頂きたい。
 ミルラン君――本員はその点には触れませんでした。
 文部大臣――ミルラン君は触れられなかつた。ただ序だから申すのであります。
 なほ、「娼婦エリザ」は、ゴンクウル氏が主として云はれる如く、また、ミルラン君が繰り返された如く、決して、社会問題乃至政治問題を取扱つたがために、禁止されたのではないことを明言します。
 わが尊敬するゴンクウル氏は、仏国共和国政府の諸君が、いかなる感情の下に、その職務に当つてをるかを御存知ないとみえる。この種の問題の研究に対して、不断の注意と、最も熱烈な同情を向けることはわれわれ当局の名誉であり、且つ義務であります。ただ、その研究の態度如何、発表の形式如何が考慮の対象となるのであります。
 本大臣は極めて困難な立場にあります。一方、劇場に於ける「娼婦エリザ」の上演を禁止しながら、いま、この議場に於いて、その内容を公開しようとしてをるのであります。
 リヴェ君――ここは劇場ではない。
 文部大臣――……そこで、先程、ミルラン君が希望された如く、本大臣も、万一、口にすべからざることを口にした際は、議長に於いて、宜しく制止の労を取られんことを希望します。(私語するものもあり)
 先づ、最初に、「娼婦エリザ」の梗概を簡単に申上げます。(議場騒然)
 議長――文部大臣の演説を聴かれないつもりですか。(笑声)
 文部大臣――簡単に筋を申します、エリザは朋輩の女三人と一緒に家を出ます。日曜日であります。ブウロオニュの森の一隅に、訪れる人もない墓地がある。そこへ散歩に出かけるのであります。そのうちの一人、即ちエリザは、自分のところに通つて来る客のうち、一人の若い兵卒に特別に心を惹かれてゐる。朋輩の女共はこの恋愛について、彼女をひやかしなどする。そこへ、例の兵卒がやつて来る。エリザと二人きりになる。初めのうちはなんでもないが、だんだん二人の感情が昂じて来る。(私語が起る)
 諸君、御心配は御無用であります。決して不穏な言辞は弄しないつもりであります。
 若い兵卒は、エリザに向つて、この墓地のなかで、自分の自由になることを求めます。彼女は拒絶します。兵卒は腕づくで目的を達しようとする。彼女は遂にその情人を殺すのであります。第一幕はこれで終ります。第二幕は法廷の場であります。(議長に向ひ)作者の意図を極めて正確に伝へたつもりですが……。
 議長――さやう、適当に削除はしてをられますが……。(笑声)
 文部大臣――第二幕は殆ど弁護士の弁論を以て、終始してをります。この弁論は、実に見事であります。つまり、先程ミルラン君が述べられた娼婦の運命より説き起して、社会制度の不備を指摘し、エリザの罪はその実、無知と病毒と貧窮の罪であると断じてをるのであります。然しながら、結局、エリザは死刑の宣告を受けるのであります。
 第三幕は、別に、この問題と関係がありませんから省略します。
 筋は大体右の通りであります。成程これだけでは、何等不都合はないと思はれるでありませう。取扱はれてをる問題は、社会哲学の問題であつて、この問題が論議されることは少しも差支ないと思ひます。然しながら演劇に於いては、事件がいかに公衆の前に現されてをるかといふ問題が、極めて重要なのであります。この点に関し、フウキエ氏が昨日発表された文章中の最も適確な言葉を借用すれば、作者の意図と作品の外観との間に、一つの間隙があるのであります。つまり、眼前に展開された光景の、ある形態、ある細部が、公衆に、嫌悪、不快の印象を与へると認めなければならない場合があるのであります。
 デルウレエド君――その場合、嫌悪の情はむしろ道徳的である。
 議長――さうとばかりも云へません。
 文部大臣――さうとばかりも云へません。さうです、議長の云はれることは至極尤もであります。かういふやうなことは、舞台を見た直後の印象によつて、判断をしなければなりません。若し、公衆に採決の権利を与へたとしたならば、その結果はどうでありませう。この作品を見て笑つてをるものと、さつさと家に帰つて行くものとの間には、投票の結果に自ら大なる差があると思ひます。われわれは、そのどちらかといへば、さつさと家に帰つて行く方なのであります。(拍手起る)
 それならば、この戯曲の細部はどうであるか、場面場面の色調はどうであるか。
 女どもが登場します。互に名を呼び合ふのでありますが、その名は、「頬張月」「エリザ」「プウレット」、それから「ぶつた斬りのマリイ」
 会話が交換されます。そして、話が例の兵士のことに及びます。「さうさ、あたしや好きだよ、あの男……。あの人のためになら、からだをコマ切りにされてもいいよ」エリザがかう云ふと、先程ミルラン君も引用されたとほり、今度はプウレットが、「こいつあ、をかしいや。お前がそんなだつてこた、夢にも知らなかつたね、誰かにのぼせちまうなんてさ……。だつて、今まで、お前のつていふのが一人でもゐたかい……。」(「モウそれでいい」「わかつた、わかつた」「ヨシヨシ」など呼ぶものあり)
 議長――文部大臣の演説を最後まで聴かれるやうに……。
 文部大臣――この句は後を読まずにおきます。先程ミルラン君が読まれましたから……。然し、ミルラン君は、その後の返答を読まれませんでした。「さうぢやないんだよ……あの人とだつて、ほかの男とだつて、あたしや、一度も……。それがだよ、あの人だけはあたしんとこへ通つて来て欲しくない、さう思ふほど、あの人が好きなんだよ……。あたしんとこなんかへ来ると、あの人が汚れるつていふ気がするの……」するとプウレットが、「ちえツ、およしつたら、くだらない理窟は……。どうせ女ぢやないか、あたしたちは……。それに、人様のお厄介になつてやしないんだからね……。人殺しをした覚えもなけれや、泥棒したことだつてありやしない……。お前の云ふことを聴いてると、まるで、あたしたちは罪人ぢやないか……。ああして、家ん中で働くのがどこが悪いのさ……。世間にいくらだつてゐる、あの亭主持ちの女と、一体どう違ふんだい……」(議場騒然)
 かう騒がしくては本文を読み上げることができません。
 マイエ伯爵――文部大臣は上演禁止の責任を負はれたらよからう。朗読はそれでやめられたい。(右翼より「然り然り」と叫ぶものあり)
 議長――諸君は文部大臣の脚本朗読を聴かれたら如何です。
 文部大臣――諸君、本大臣は……責任上、問題の性質を明かにしておく必要を認めます。
 フイリポン君――その必要なし。理由は正当と認める。
 議長――それでは、真相を糺さずに、事件を解決されるおつもりですか。(私語起る)それでは、少しお覚りがよすぎるでせう。(
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