すか。第一幕の終りで、エリザがその情人を殺す、それがよくないと云はれるのですか。それならばお尋ねしますが、現在市中の大劇場で、成功裡に某アカデミイ会員の作を上場してます。そして、その作品の第一幕の終りに、所謂濡れ場があつて、遂に服のホツクを外すと云ふ所で幕になる。後は見物の想像に委せるわけであります。(左翼より「然り然り」と呼ぶものあり。議場騒然)
若しも、かういふことを許すなら……勿論、本員がかれこれ苦情を申立てるわけはありません。(笑声起る)
今日まで、一般の批評家は、自由劇場の上場脚本に対して、可なり峻厳な態度を示して来ました。然るに、この度は、ただ一名の批評家を除く外、一斉にこの作品の勝れたる特質を挙げ、上演を禁止するほどの必要は毛頭ないといふ説を発表して居ります。
オルヂネエル君――それは仲間褒めだ。
ミルラン君――いいえ、仲間褒めではありません。なぜならば、あなたの旧友であるフランシスク・サルセエ氏は、その劇評に於て、常に自由劇場の上場脚本を批難攻撃してゐるに拘はらず、この度に限つて、「娼婦エリザ」は毫も上演に差支なきものであることを述べてゐます。ただ同氏は、この作品は「芝居になつてゐない」と評してゐるだけであります。その他、当代の権威ある批評家、ジュウル・ルメエトル、アンリ・ボオエル、セアアル……等の諸氏は等しく、この禁止をいはれなきことと宣言してをるではありませんか。その上にです、文部大臣、あなたの管下にある大学教授にして、同時に最も卓越した批評家たるエミイル・ファゲエ氏、同氏も亦新聞「太陽」紙上に於いて、此の作品の価値を認め、殊に第二幕法廷の場の如きは、驚くべき正確さを以て描かれてあるといひ、これこそ一個の宝石であると推賞してをります。
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かくの如く、批評壇の輿論は、この作品を純潔にして真実に富むものと見做してゐる。実際、悲痛な作品が不道徳であることは稀れであります。「娼婦エリザ」は決して風俗を紊す作品ではありません。
これで先づ、形式の上で上演に適しないといふ理由は、消滅しました。今度は、先程も申しました通り、作者の支持してをる思想について吟味して見ませう。
娼婦エリザは、なるほど虐げられたもののために放たれた憐憫と正義の叫であります。その人物の一人が云ふ如く、彼女等は無知と病毒と貧窮との三重の運命を背負はされてをるのであります。即ち、「娼婦エリザ」は、社会に対する呪咀の一幕であるといへます。
……なほ、娼家を監視する警察官を以て、一種の客引なりと断じたのは、決してこの作者が初めてではありません。(議場騒然)
ブルウス君――諸君は子供ではないだらう。
ミルラン君――本員の言葉遣ひが聞くに堪へないやうなものであるとは思ひません。が……。(続け給へ、と呼ぶものあり)
……警官をかくの如き名で呼んだ最初の人は――これを申しても誰の迷惑にもならぬと信じますが――それは、文部大臣の御同僚たるギュイヨオ君であります。同君の醜業婦に関する著書を見られるがよろしい。(笑声起る)ギュイヨオ君はその著書の中で、「娼婦エリザ」に関し、最も正しい批判を下してをられます。
ギユイヨオ君(労働大臣)――その意見は今日も変更しません。
ミルラン君――意見を変更されない、よろしい、本員もさう信じます。「娼婦エリザは椿の花を持てる婦人の群より離れて、貧しき少女の上に眼を転じたことが、世間を騒がせた」と云つてをられるのは至言であります。
即ち問題は、劇場に於いて、この種の社会問題を取扱つた作品を上場することが、危険であるかどうかであります。(文部大臣首を横に振る)
大臣は危険でないと云はれる、それならば、上演禁止の理由は作品の思想と関係はないことになります。或は、「娼婦エリザ」が公衆道徳を紊すものであると云はれるなら、政府検閲官が、今日まで、果して公衆道徳の完全な維持者であつたか、どうかは、知る人は知つてをるのであります。(左翼より「然り然り」と呼ぶものあり)毎夜、半裸体の婦人の群を舞台に上せ、卑俗極まる歌詞を高唱させてをる幾多の劇場や寄席は、一体どうしたのですか。これを取締らずして、一方、近代小説史上、最も偉大なる名を残すべき作家の一人、ゴンクウル氏並びに、批評家が挙つてその才能を謳歌しつつある新進アジュルベエル氏、この二人の名を冠した、厳粛にして道徳的な作品「娼婦エリザ」の上演を禁止するとは実に言語同断であるといはねばなりません。(拍手)
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本員は、平素、その人格に多大の敬意を払つてをります文部大臣から、検閲の標準について明確な指示を与へられることを希望します……。あまり長く喋舌りすぎたやうです。(「そんなことはない」と叫ぶものあり
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