)然しながら、問題はわが仏国の文学芸術に関する極めて重大な問題でありますから、敢て議員諸君の配慮を煩はす次第であります。(左翼議席より一斉に拍手起る)
 レオン・ブウルジュワ君(文部大臣)登壇――ミルラン君の御質問に対して、なるべく御満足なお答へを致したいと思ひます……。最も慎重に、最も自由な立場から、戯曲「娼婦エリザ」を研究審議致しました結果、公衆道徳の上から見まして、上演を禁止する必要があると信じたのであります。
 抑も検閲といふ法規が存在し、それを文部大臣が実施することになつてをりますが、時によると文部大臣の取つた処置を、不適当であると云ふものもあるでありませう。また時によると、文部大臣自ら自分の取つた処置を悔む場合もあることと思ひます。実際、検閲といふ役目ぐらゐ機微なものはありますまい。禁止をしたがために万人の恨を買ふこともありませう。許可したがために、また万人の譏りを受けることもないとは云へない。ただし作者を除いてであります。(笑声)
 兎に角、検閲といふものが存在する、これはどうすることもできない。事ある毎に、新聞などで検閲の不法を鳴らすけれども、決してこの制度はなくならないのであります。検閲はその実、劇作家一同の利益のために存在するとまでいはれてをります。それは、誰がさう云つたかといへば、最も大胆な、そして最もこの問題に関係のある、つまり、最も頻繁に、最も烈しく取締条令に触れた劇作家、アレクサンドル・デュマ・フィスその人であります……。彼の言に従へば、「検閲は姑のやうなものである。一緒にをると、だんだん要領を覚える。ただ、可なりの辛棒と、少しばかりの機転が必要だ」さうであります。(笑声)
 そこで、この度の検閲が、果して、邪慳な、うるさい、辛棒ができないほどの姑であつたかどうかを、一と通り考へてみたいと思ひます。
 その前に、ミルラン君から、寄席で唱ふ歌詞について御注意がありましたが、これは、検閲官も手を焼いてをる次第で、一旦禁止した歌詞が、無断で唱はれてをるやうなことが間々あるのであります。この問題について、これ以上申す必要はありますまい。直ちに「娼婦エリザ」問題に移ります。
 先づ、ミルラン君は、上演禁止の理由を質されました。
 このことについては、ゴンクウル氏自身が新聞記者に対して、答へた言葉を参考にしたいと思ひます。「今度の上演禁止については、
前へ 次へ
全13ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング